忠臣蔵ゆかりの萱野三平邸。
萱野三平記念館(涓泉亭)の特徴
西国街道沿いにある義士萱野三平邸の跡として歴史を感じる場所です。
萱野三平の生家として、静かな雰囲気の中で穏やかに過ごせるエリアです。
地元の自治会が管理する、忠臣蔵に関する貴重な史跡が魅力的です。
萱野家は今の箕面市芝の一帯の領主として代々勢力を誇っていて、「義士萱野三平邸の跡」として府の史跡指定を受け、管理は地元の自治会がされています。史跡として残っているのは、表門、三平自刃の間。昭和15年頃、顕影会ができて遺跡保存に熱が入りました。しかし、終戦とともに一挙に冷却。三平の名前さえ忘れ去られようとしていましたが、地元の方達が郷土の志士を守ろうという運動が広まり、戦後の農地解放の時に、不在地主となっていた屋敷跡をにわか農家に仕立て、人手に渡るのを避けました。遺跡を個人で管理するのはとても大変なので、門と自刃の間を含む80坪を当主から譲り請けて自治会の管理としました。昭和48年(1973)には大阪府の史跡指定を受けました。また管理棟「涓泉亭(けんせんてい)」には、三平に関する資料が展示されています。旧邸内の北西隅には辞世の一句を刻んだ句碑もあります。■住所 箕面市萱野3丁目10-4■休館日 月曜日(月が休日の場合は火)12月28日から1月4日■入館料 無料。
地元に住んでいながら、何も知りませんでした。バス停の名前も「萱野三平前」とかありますが、どういう意味だろう? と思いながら、実際詳しく調べようともして来ませんでした。今回ここと、近くにある萱野三平のお墓を訪ね、ああそ~だったのかぁ、そ~ゆ~ことだったのね、と納得すると同時に何だか一つ賢くなったような気がして嬉しくなりました。( u003d^ω^)
萱野自体古くて立派なお屋敷が見られ、そんな町中にとけ込んでいます。
静かでゆっくり出来ます。
今時の若い人は、忠臣蔵や萱野三平を知らなさ過ぎる❗
穏やかなところで、心が落ち着きます。無料で入れます。
綺麗な屋敷だけど、見るものは少ないかも。
準義士・萱野三平の生家。元禄15年(1702)1月14日早朝「晴れゆくや日頃心の花曇り」の辞世の句を残し自刃。 萱野村の領主 大島 出羽守の家老格の父 萱野 七郎左衛門。三平が13歳の時に大島 出羽守の目に留まり、その推挙により浅野 内匠頭に仕えることとなった。内匠頭の刃傷後すぐに早駕籠で赤穂の大石 内蔵助へ第一報を届ける。 赤穂開城後、萱野村に帰った。山科に閑居している大石 内蔵助に会い、吉良への復讐計画に参画。父 七郎左衛門に吉良を討取ることを問い詰めわれる。そうすると大島出羽守に多大な迷惑がかかるので、思い留めるように説得される。 三平は同志と交わした密約がある。しかし、父や兄を裏切ることが出来ず深い苦悩に陥る。 三平は内蔵助に以下のような遺書をしたためた。「春には江戸へくだるべきなのですが、父に強く制止されてしまいました。父に仇討ちの意思をうちあければ、喜ぶことはわかっていますが、たとえ父と雖も打ち明けるわけにもいかず、どうにもなりません。これより腹を切ります」と。
赤穂浪士の一人の生家で討ち入りには行けなかった方で自刃した部屋もそのままです。
名前 |
萱野三平記念館(涓泉亭) |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-724-7201 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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西国街道沿いでの名所です。ここは外せません。