武田勝頼の技巧が息づく。
武田勝頼が天正2(1574)年徳川家康から高天神城を奪った後、高天神城の弱点である西側の傾斜が緩やかな斜面に技巧的な大改修を行い、堂の尾曲輪から井楼曲輪の崖下に作事した100mにも及ぶ横堀だ。写真の碑には「空堀」と書いていますが、これが長大な「横堀」です。横堀とは構造的・機能的な観点からの堀の区分で、斜面に対して横に掘れば「横堀」、縦に掘れば「竪堀」、また、尾根を断ち切るような堀は、「堀切」(この城跡では「切割」との案内もある)という。因みに、「空堀」とは、水が入っていない堀のことで、水が入れば「水堀」です。ですから、この堀は「空堀の横堀」となる。勝頼は自分が攻めた高天神城の弱点を自ら改修し、より難攻不落の城にした。《2023.2.1訪問》
名前 |
堂の尾曲輪横堀跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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見事な横堀跡が残っています。