立派な樹木と再建の神社。
春日神社(宮田町)の特徴
西国街道の途中にあり、参拝や休憩ができる神社です。
境内には立派な樹木が生い茂り、自然の美しさを感じられます。
昭和55年に氏子によって再建された歴史ある社殿です。
なぜ、わざわざ「宮田」を付けて示す必要があるんだ?「春日神社」でいいじゃないか。昔は、もっとうっそうと木が繁っていて、夏には境内で盆踊りや露店が出たり、子供はセミ採りに行ったものでした。60年くらい前までは、道を隔てた西側に「西池」があり、年配の方は、昭和天皇が「継体天皇陵」に参拝に来られた際、土手から見下ろしたためにこっぴどく叱られたそうです。(南にも「ため池」があったはず)。境内の東側も「ため池」で低く(女瀬川堤防付近は2~3m以上土盛りがしてある)湿地になっていて萱(カヤ)や菅(スガ)=「葦(ヨシ)」や「芒(ススキ)」が生い茂っていたと遠い記憶にあります。だから、奈良の「春日大社」ゆかりではなく「カヤ・スガ」の生えるところから「カスガ」って来てると思います。淀川流域に「須賀神社」が分布していて、高槻市内辻子には「冠須賀神社(かすがじんじゃ)」もあります。「宮田」は、大和朝廷の「屯倉(みやけ)」=直営地があったところ。今は、元々の宮田の集落はこの神社の100mくらい西にありますが、弥生時代から鎌倉時代にかけての宮田集落は神社の東側から南東にかけてあったようで「宮田遺跡」として発掘調査されています。継体天皇の子の安閑天皇のころには、三島県主の三嶋飯粒(みしまのいいぼ)の話が「日本書紀」にあり、「屯倉」になっていたのでしょう。西の太田村との境(マルヤスの西から南側の駐車場との間)を流れる古代用水路「五社井路(三島大溝)」から用水路をひいていて村を東西に幾筋も通っています。
この神社の境内の樹木は、遠くからでも分かるくらいに立派です。それを見るだけでも価値が有るかと。
凄い綺麗で新しい神社です。歴史が古いので延喜式神社かな?って思いますが、よく分からないです。
昭和55年、荒廃していた社殿を寄付に頼らず、氏子のみで再建という。その余熱が充分残っているのだろう、境内は掃き清められ、非常に美しい。御神職がおられる神社でも、ここまできれいな境内はなかなかお目にかかれない。創建不詳だが、棟木には仁和元年9月4日とあったらしい。西暦885年。高槻・茨木両市に春日社が多いのは、旧春日大社領であったためか。
昔、授業さぼって行きました。
古い歴史を持つ社だが、神殿が朽ち果て、昭和55年に再建された。寄付に頼らず氏子一同で、新たな神殿を完成させた。大阪府内で、いまや唯一の宮大工となった「金剛組」が設計施工。神殿のそばには、高槻の古木に指定されているヒノキの大木が茂る。
今城塚古墳公園に行く途中立ち寄りました。いい感じの神社です。拝殿の大きさに比べて広い境内には四方に大きな木が立ち並び神社を覆っています。建物も庭もきれいです。ベンチも落ち着きます。自転車で長い距離を走る時は、この方面はここでと休憩ポイントを決めています。この神社は正にそういう場所です。※高槻市立自然博物館を見に行く途中立ち寄りました。去年の5月以来ですが相変わらずシンプルで気持ちの良い神社です。
「古い歴史を持つ社だが、神殿が朽ち果て、昭和55年に再建された。」とのこと。
名前 |
春日神社(宮田町) |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-643-7778 |
住所 |
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HP |
https://www.osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai2shibu/takatsuki-city/t34.html |
評価 |
3.8 |
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西国街道ウォーキングの途中で、参拝と休憩をさせていただきました。