大塩平八郎ゆかりの東照宮。
川崎東照宮跡の特徴
大塩平八郎の乱に深く関わる歴史的な場所です。
松平忠明が建立した貴重な東照宮のひとつです。
大坂夏の陣の舞台として重要な役割を果たしました。
大塩平八郎の乱のとき、彼はここから門弟や民衆たちと共に出撃していった。ある程度の人数が集まるのには最適の場所だったろう。現在の滝川小学校があるところである。しかし反乱は半日で終息する。今は石碑の前でその日を想像するのみ。
大塩の乱でこの東照宮あたりから捕方が大塩宅を攻める様子が描かれている。
小学校の校門に石碑と案内板が残っているだけでした。
大坂夏の陣の後に大坂城主となった松平忠明が、家康の死後に建てた東照宮。大阪の人々の豊臣氏への思慕の念をぬぐい去る目的もあったといわれています。
大坂夏の陣(元和(げんな)元年、1615)後、大坂城主となった松平忠明(ただあきら)が元和3年建立した。徳川家康はこの前年没して、徳川家ゆかりの各地に東照宮を建てており、とくに大坂では豊臣氏への思慕の念を払拭するねらいももっていた。毎年4月17日の忌日前後5日間は権現(ごんげん)祭が催され、市内随一の祭日になった。大塩の乱で焼失復興したが、戊辰戦争のときは長州藩の本営にもなった。明治6年廃絶、神輿(みこし)蔵と石灯籠は天満宮境内に現存する。
全国に造られた500社以上ある東照宮のひとつで、大塩平八郎が挙兵当日、この場所に集合してから大坂城を目指して南下しました。
名前 |
川崎東照宮跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6208-9166 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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大阪にも東照宮が有ったのが驚きですね。