仁徳天皇祀る高津宮で、桜と共に心温まるひとときを。
高津宮の特徴
仁徳天皇を主祭神として祀る高津宮は歴史深い神社です。
上方落語に縁のある高津の富亭が境内にあり、文化的な雰囲気があります。
整えられた境内には桜やアーモンドの花が咲き、春に訪れるのが特におすすめです。
階段が結構あります。車椅子の方の道はあるのかな?道沿いですが引っ込んでいるのでパッと見てはわかりにくい場所にあります。本殿では結婚式も行われます。隣の高津の富亭では落語会がよく開催されます。トイレは新しく増設されたのが外にあります。
上方落語の高津の富で有名なお宮さんです。仁徳天皇を、お祀りしています。近くを通ることはあったのですが、お社まで上らずにいましたが、やっと機会があってお参りすることが出来ました。境内の片隅に、5代目桂文枝の顕彰碑が立っていて、高津の富の世界が蘇ってきました。驚いたことに、西坂は改修されて、縁結び坂と言う名称になっていました。これも初めて知ったのですが、高津さんの西側に曽根崎心中の、お初さんのお墓があると、石碑が建っていました。
綺麗に整えられた境内には桜やアーモンドの花が咲いてました。縁切りの階段や縁結びの階段があります。本堂は階段を少し上がった所にあり、梅がたくさん植樹された児童公園と隣接しています。境内のなかに小さい喫茶もあり、生姜と梅のロールケーキ、ぜんざいやトースト等が食べれます。
866年、清和天皇の勅命によって難波高津宮の遺跡が探索されて、高津宮の跡地に社殿を築いて仁徳天皇をお祀りしたのが始まりです。浪花の地を都(高津宮)に定め、人々の困窮を察して庶民を救済した仁徳天皇の徳政を慕ってのことでありました。豊臣秀吉が大阪城築城の際、ご神体を現在地に移しますが、後の大阪大空襲で神輿庫を一つ残して社殿は全焼。その後、神社本庁の別表神社(神職の人事にのみ関わる区別)に加わり、氏子によって社殿が復興されました。古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台にもなっています。現在も境内にある「高津の富亭」ではプロアマ問わず寄席が開かれ人々に親しまれています。桂分枝最後の口演が演じられたのも、桂文枝一門が関わる「くろもん寄席」でした。そんな桂文枝を偲んで石碑も建てられています。
谷町九丁目駅からすぐの場所にあり桜の名所です。公園も近くにあり桜も綺麗に咲き乱れてました。難波からも自転車で行ける距離なのでおすすめです。
古典落語の「高津の富」が有名で、五代目桂文枝一門が境内の参集殿「高津の富亭」で「くろもん寄席」が開かれていた。参道に四ヵ所の坂、表参道・北坂・西坂・相合坂があります。西坂は縁切り坂、相合坂は縁結びの坂としてパワースポットになっています。
大きくはないですが、高台の小さな森みたいな雰囲気のいい神社です。お気に入りです。
聖帝ひじりのみかど と呼ばれた仁徳天皇の神社です。有名な人民が苦しんでいるのを見て、税を取るのを止めて、自分はボロボロの衣服や屋敷に住んで、それを見た民衆は聖帝と褒め称えたと言います。
子供の頃の唯一の遊び場でした。最近 この高津神社の夢を見て訪れました昔のまま変わることなくタイムスリップをしたような気分になれました。
名前 |
高津宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6762-1122 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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御祭神:本座に仁徳天皇/左座に応神天皇、仲哀天皇、神功皇后/右座に履中天皇、葦姫皇后創建は貞観8年(866)と伝えられています。第56代・清和天皇の勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて第16代・仁徳天皇を祀ったのが起源です。天正11年(1583)に豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社としました。また、境内には熊野古道九十九王子3番、郡戸王子(こうとおうじ)の推定地である石碑も立てられています。確証はありませんが、摂社、比売古曽神社が郡戸王子ではないかと言われています。また当社は、古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていました。拝:2023/01/11