遥かに訪れた藤原家隆の墓。
伝藤原家隆墓の特徴
新古今和歌集の選者、藤原家隆の墓所にあります。
鎌倉時代初期の公卿である藤原家隆を偲ぶ場所です。
雨や風の中でも訪れる価値がある歴史的な史跡です。
藤原家隆は、鎌倉時代の歌人で、新古今和歌集の選者の一人。百人一首には、風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける が入っている。
今日は天気は、大あれ、雨は降る、風🍃で飛ばされそうになる中、何回も来てるのに間違い、行ったり来たり、遥かに遠い、藤次寺迄行き引き返し、やっとたどり着きました😙😃😋
百人一首、和歌集良いですね。優れた文人は、必要だと思います。
藤原 家隆(ふじわら の いえたか)は、鎌倉時代初期の公卿、歌人。有職読みで「かりゅう」とも呼ばれる。中納言・藤原兼輔の末裔で、権中納言・藤原光隆の次男。官位は従二位・宮内卿。『新古今和歌集』の撰者の一人。小倉百人一首では従二位家隆「風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける」。出家後は摂津国四天王寺に入り、その西側の地に『夕陽庵』(せきようあん)を設けて浄土教の教えである「日想観」を修し、この地より見える「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、その彼方にある極楽浄土へ行くことを望んだ。後世、この地は『夕陽庵』にちなんで夕陽丘と呼ばれるようになった。現在の大阪市天王寺区夕陽丘町5に家隆塚(伝藤原家隆墓)がある。
死後780年も経った今となっては西の海に落ちる夕日は拝めません・・・
名前 |
伝藤原家隆墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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新古今和歌集の選者でもある藤原家隆の墓所。この地の夕陽のあまりの美しさに夕陽庵を結びこの地で和歌をうたいお亡くなりになったらしい。“契りあれば難波の里にやどりきて波の入日をおがみつる哉”の和歌を残した。そんな彼に憧れこの地庵を結んだ伊達宗広の墓所跡の碑もも近くにのこる。