特殊潜航艇の歴史を体感。
「嗚呼 特殊潜航艇」の碑の特徴
特殊潜航艇甲標的の狭い操縦空間が体感できる、独特なスポットです。
昭和16年から20年までの任務で散華した英霊を祀る歴史的な碑です。
太平洋戦争の犠牲者を悼む石碑が、静かな場所に建立されています。
昭和16年12月~昭和20年8月までの特殊潜航艇での任務によって散華された 英霊を祀っている。また遥かアフリカ東部マダガスカル島のイギリス艦隊を攻撃後、迎えの船を待ちながら戦死した搭乗員を偲び、現地に建立された碑の初代銘版もある。
石段の脇には、太平洋戦争で特殊潜航艇の任務に殉じた人たちを祀った石碑があります。かつて神社前の湾の先に、特殊潜航艇の基地があり、任務遂行に向けて厳しい訓練が行われていました。今では牡蠣筏が並ぶ穏やかな風景になりましたが、そこには国に殉じた先人達の歴史があります。(呉の魅力)
名前 |
「嗚呼 特殊潜航艇」の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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真珠港攻撃にも参加した特殊潜航艇甲標的の操縦空間は、とても狭くて、遊園地のアトラクションで5分程度搭乗するのは我慢でけるが、長時間の作戦で缶詰になるのはかんべんじゃあ。呉市のヤマト博物館、江田島市の自衛隊第一術科学校に本物が展示されておるが、これにのるのは、せまいよ、くらいよ、こわいよ!なのだ。大東亜戦争末期に開発された人間魚雷回天は、さらに小さく全長14.75m、直径1m、酸素魚雷に制御装置として人を乗せるもんで目的をはたせば文字通り粉骨砕身(操縦席前に1.55tの炸薬を搭載)、はたせずに燃料尽きれば海の底へぶくぶくという搭乗するだけでも相当な勇気、胆力、精神を要する乗り物じゃあ。かの科学技術はせかいいちーなお国も、無人飛翔自爆兵器V1号の命中率がいま一なので制御装置に人を乗せよかと検討したが実行に至らず。大和魂はこれを実現せり。恐るべし。心身ともに強烈な抑圧のもと火のやふな錬磨に励まれた英霊方に敬礼🫡。