中川村の歴史と風情、細い路地で発見。
翠岩墓所(釈翠岩墓所)の特徴
平野川の分流周辺に位置する歴史的な土地です。
中川村の名由来に触れられる貴重な場所です。
細い路地を進んだ静かな環境が魅力です。
たぶん予約をしないと入らないと思います。
中川の町名の由来となる東成郡中川村は、平野川の分流である中ノ川という細流の周辺地域であったためこの名がついたといわれています。中川村は明治22年に片江、大友、腹見の3か村と合併し、小路村の大字となりました。 中川村というと翠岩(俗名を住吉屋太郎右衛門)さんが有名で、今から310年ほど前に生まれ「郷土のほまれ すいがんの気高い心 受けついで ま心こめて 学ぶのだ」と東中川小学校の校歌にも歌われています。 昔からこのあたりは土地が低く、大雨が降ると田畑の作物や家が、水につかり流されたりしていました。翠岩さんは、自分の財産を投げ出し、道路や川の工事をしたり、橋を11も架けられたりしました。今から250年ほど前に、財産を中川村へ寄付すると遺言を残されて、62歳で亡くなられました。 翠岩さんの墓所(中川東2丁目7番)の傍らに、その功績をたたえて頌徳碑が祀られています。
場所は、細い路地から入った会館の中にあるので分かりづらいかもです。
名前 |
翠岩墓所(釈翠岩墓所) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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お世話にななりました。