圧巻の松と幽霊の足跡。
来迎寺の特徴
幽霊の足跡が有ることで有名な来迎寺です。
境内には堂々とした老松が立っており素晴らしいです。
歴史ある建物や美しい庭で落ち着くことができます。
幽霊の足跡が有ることで有名な来迎寺です。市で指定された松やそうとうな樹齢の桜もあり、とても落ち着いた雰囲気のお寺です。
松が立派。小僧の石像がユーモラス。台風による瓦の被害等は未修復。
境内に有る松の老木は大変素晴らしい物で感動すら覚えます。幹はほとんど無くなっているのに葉は青々として、生命力の尊さを感じます。何時も拝見出来ない様ですから確認をして下さいね。兎に角一見の価値あり。
一部工事中です。2020年末の鐘撞きは、コロナ対策で一般の方はできないとの掲示がありました。ご注意。
前は何度も歩いてますが、初めて入りました。小さなお寺です。お庭が美しく、立派な松がありました。
歴史のある建物とか 素敵なお庭で、とても落ち着くところでした。
生き物を放つ、字の通り放生会を体験させていただきました。尊い経験でした。
近代以降は浄土宗に属するが、もとは融通念仏宗(大念仏宗)佐太派の本山であった。正平2年(1347年)、大念仏寺7世法明上人の弟子、実尊誠阿上人西願が河内国茨田郡下仁和寺庄守口村(守口市来迎町)に天筆如来を本尊として一宇を建立したのが始まりとされる。天筆如来とは、石清水八幡宮を創建した僧・行教が貞観元年(859年)に感得したとされる、阿弥陀三尊の絵像である。後に南朝後村上天皇の勅願寺となり、釈迦如来立像の寄進を受け、本堂に放光殿の号を賜る。その後延宝6年(1678年)、現在地に落ち着くまでの332年間、茨田郡内で26回の移転を繰り返している。守口市史編纂委員会の調査では、この理由を2世の時代以降に北朝方の足利義満から圧力を受けて創建当初の堂宇を維持できなくなったこと、住職相続を直檀家の内34家からなる床仲間からくじ引きで決めたこと等から、代替わり毎に相続者の居村に移転したものと結論付けている。因みに同村の者が相続した場合は移転していない。江戸時代に入ると江戸をはじめとする東国で盛んに本尊・天筆如来の開帳会が行われた。享保3年(1743年)、35世慈天の下に女の幽霊(江戸小網町の大工の妻、「お石」と言う)が現れ、慈天の回向を受けて成仏したとの伝説があり、その時に「お石」が残した幽霊の足跡とされるものが現在も伝わっている。
文化財の曼荼羅や、幽霊の足跡などの掛け軸は、突然訪れても見れないようです…その代わりに境内には、立派な松の木が堂々と枝を伸ばして佇んでいます…🌳
名前 |
来迎寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6901-0336 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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この前、来迎寺に寄りました。手前の建物工事してましたが、奥に行くとお地蔵さんが何体かあり、1番前には大きな可愛い、お地蔵さんが一体あり思わず写真を撮しました。何故がホッコリしました。