徳川家康の隠れ藪、絶景発見!
徳川家康の伊賀越え 伝家康ひそみの藪の特徴
小学校の先にひっそりとある竹藪の中に位置しています。
徳川家康が身を潜めた伝説の場所で感慨深いです。
整備された藪で景色が美しく、訪れる価値があります。
小学校の先に、ほんまにひっそりとある竹やぶの中の石碑。供回りも少ない中、下手をすれば命を落とすかもしれないと、不安な夜を過ごしたのだろう。と感慨深く思えば良しかな。
階段辛かったけど 景色は最高で綺麗!水みくじ初めてやりました。来年もまた行きたいです。
天正10年(1582)京都本能寺において織田信長が明智光秀の奇襲で自害した時、徳川家康は少人数の近臣を連れて堺に滞在していた。信長死すとの訃報がもたらされると、身の危険を察知し、直ちに本国三河に帰ることにした。家康一行はその日の深夜星田の平井家に来て道案内を依頼、間道に精通する者により無事帰還したと伝わる。(交野市星のまち観光協会ガイド担当)
本能寺の変の神君伊賀越えの際、一時家康公が身を潜めたと言われる竹藪だそうです。三河一向一揆の際、家康公が同じく難を逃れた山中八幡宮近くの洞穴の写真も、別にアップしてありますので、良かったらご覧下さい。
星田妙見宮に来たときに偶然通りかかりました。今は小さな竹藪ですが、昔は山全体が、竹藪やったんでしょう。
うーん…💦家康の伊賀越えは有名な話やけどーいちいち隠れ潜んでた藪まで言ってたらキリがないような気がする建物やせめてその痕跡が残ってるんやったらまだしもただの藪じゃなぁ…😅しかも言い伝えやから違う可能性もあるんやし。
こんなとこに後に天下人になる徳川家康が居たというだけでも感慨深いですね。本能寺の変が6月2日なので それ以降だから暑いは蚊に刺されるは大変だったろうに。ん、籠の中だから大丈夫か? などと想像膨らましてました(笑)
堺にいた家康が潜んでいたと伝えられる場所です藪は整備しているのですぐに解ります。
先祖ゆかりの地。
名前 |
徳川家康の伊賀越え 伝家康ひそみの藪 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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星田妙見宮のすぐ横にあります。サクッと行けるのでついでに是非。家康が身を隠した竹やぶがあります。