緑に囲まれた静かな石切上之社。
石切劔箭神社上之社の特徴
石切劔箭神社上之社は、歴史が古い神社で心が清まる場所です。
急な坂を15~20分登り参拝、静かな雰囲気が魅力です。
石切神社の参道を抜けた先、落ち着いた参拝が楽しめます。
例の流行性のもので、無人でしたが石切さん詣でに来たので寄らせていただきました。人っ子一人居られず、ゆっくりとさせていただきました。基本山麓の石切さんと対でお参りすることで石切詣でになると教わり、心臓が千切れそうになりながら上がりましたが、登った後は爽快感があります。麓の石切さんの御百度は右回りですが、こちらは左回りらしいです。
御祭神饒速日命(にぎはやひのみこと)可美真手命(うましまでのみこと)婦道神社御祭神:弟橘姫命おとたちばなひめのみこと日本武尊(やまとたけるのみこと)の御妃さん登美霊社御祭神:登美夜毘売饒速日命の奥さん。長髄彦の妹。饒速日命と登美夜毘売の間にできた子供が可美真手命(うましまでのみこと)です。八代龍王社「八大龍王」とは、仏教の法華経が元の信仰です。竜族の八王とされ、仏法を守護する役目。日本では、昔から雨乞いの神様として祀られてきた経緯があり、日本各地に八大竜王の神社や祠があります。
高台に有るので凄く見晴らしが良かったです。石切神社の名前の由来は知りませんが、お饅頭みたいな石や変わった石が沢山有り石に関わりが有るのかな?と想像しながら参拝しました😌
御祭神:饒速日尊/可美真手命現在、石切劔箭神社は2社あります。皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀したのが当社、上之社の起源としています。当社より麓の石切劔箭神社は第10代・崇神天皇の御世に可美真手命が奉祀されましたが、室町時代末期に兵火にかかり、神宮寺であった天台宗法通寺とともに社殿を焼失しています。その後、復興しましたが宮山の地にあった祭祀の場はいつの頃か現上之社の場所に遷されました。拝:2021/11/09
現在の石切東方にあたる宮山に、にぎ速日尊を祭祀したのが、神武紀元2年のことその後慶安3年(1650年)に光堂山に御遷宮が行われ彌来石切劔箭神社上之社として崇敬されております、かつては宮山の上之社、光堂山の中之社現在の御本社である下之社とが有り現上之社の御本殿は約460年前に下之社として造営された、室町時代の建築です、その後昭和7年に下之社(現本殿)建立を機にして解体保存され、昭和47年に再興されました、石切劔箭神社創建の地です。
麓のが「動の石切」であるとするなら上之社は「静の石切」とのことなるほど雰囲気がガラリと変わる。
とても気持ち良く、落ち着いたところです。大きな気で包んでくれ、癒されました。
石切劔箭神社には、何度となくお詣りしましたがこちらは初めて。神社の専用駐車場に車を止めさせて頂きました。(13台位は止めれそうです)まずは親子の牛さんに挨拶。上之社の本殿へは石段を登ります。登った先から、振り返ると街並みが見渡せました。本殿にはどなたもおられませんでしたが、丁度桜がほぼ満開を迎えようとしてました。本殿の両端には桜。お詣りとお花見を独り占めですねぇ(笑)素敵な一時を過ごせて、大変嬉しく思いました。他にも神社が隣接されていて「婦道神社」「八代龍王社」「石切登美霊社」等があり。ゆっくりお詣りさせて頂きました。
心が清められます。今はコロナで閉まってました。御札関係は下院です。
名前 |
石切劔箭神社上之社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-982-3621 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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社務所がしまっているので、御朱印はいただけません。人がとても少なく、静かに参拝することができましたが、あまりにも人が少ないので一人で行くにはちょっと寂しい感じがします。