饒速日命の旅、歴史の息吹。
鳥見白庭山の碑の特徴
饒速日命が天磐船に乗降した場所、歴史が息づく美しい地です。
物部氏の始祖、饒速日命の遺跡がある特別な史跡です。
大和国鳥見白庭山は豊かな伝説に彩られた神秘的なスポットです。
「長髄彦本拠」の碑で記載し写真を投稿済みです。宅地開発に伴い移設されているらしい。
古代ロマンを感じさせる碑です。鳥見白庭山は神武東征を一旦は阻止したニギハヤヒの国のことだそうです。伝承からしてここらへんじゃないかなぁ、っていう感じで認定されたのかな。近くには「白谷」というバス停があります。が、ここは上町という町名らしい。郷土史を調べたら色々出てきそうな感じもしますが、普通の家の中にひっそりとある碑のようでして、じっくり見れるものではないです。まぁ、古代ロマンの妄想に浸るところと考えたらいいかな・・・
饒速日命が天磐船(あまのいわぶね)に乗り、櫂峰(かじがみね)に降臨し、そのあと河内の哮峰(たけるがみね)に天降り(あもり)、大和国鳥見(やまとのくにのとみ)白庭山に遷ったとのこと。
物部氏の始祖、饒速日命が神武天皇の東征以前に高天原より天の磐船に乗り河内国川上哮峰(いかるがのみね)の現在は磐船神社がある地に天下り、ここ大倭国鳥見白庭山に移り本拠地としたとされる。戦前に日本神話に登場する土地を聖蹟として顕彰して建立された。
| 名前 |
鳥見白庭山の碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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「長髄彦本拠の碑」を訪れたなら、歩いてすぐの場所にあるこの「鳥見白庭山の碑」は絶対に外せません。これらはセットで一つの物語をなしている、と言っても過言ではない場所です。この石碑は、長髄彦が主君として仕えた天孫・饒速日命(にぎはやひのみこと)が、天から降臨した後に宮居を構えた場所と伝えられています。主君と、その最大の家臣の拠点が目と鼻の先に並んで立っている。この地理的な近さは、記紀神話が語る両者の緊密な同盟関係を、まるで地図上で裏付けているかのようで、歴史のロマンを強く感じさせます。しかし、この場所が「鳥見の白庭山」であると特定された背景には、もう一つの歴史が隠されています。「長髄彦本拠の碑」と同様に、この地を聖地として「発見」したのも、大正時代に活動した地域の顕彰団体「金鵄会(きんしかい)」でした。彼らは、この地にあった「白谷(田原に住む地元の人間はシラタンと発音します)」という古い地名から、神話の「白庭(しらにわ)」を導き出し、ここを饒速日命の宮居跡と定めたのです。つまりこの碑もまた、古代の神話を自分たちの郷土の誇りとして形にしようとした、近代の人々の情熱が生み出した「伝統」の証と言えるでしょう。そもそもの白庭台という地名が、この大正時代にもたらされた「発見」に因むもので、高度経済成長以降の宅地開発の際にイメージアップのために採用したという経緯があります。長髄彦と饒速日命という古代の物語と、それを顕彰しようとした近代の人々の物語、宅地開発に情熱を注いだ人々の物語。二つの石碑をセットで巡ることで、時代を超えて交差する壮大な歴史に触れることができます。