ニギハヤヒ命の神秘、饒速日命墳墓。
饒速日命墳墓の特徴
饒速日命墳墓はほうじさしの竹杭を目印にアクセスするスポットです。
生駒市の境界線上に位置する、難易度の高い隠れた歴史的名所です。
大和建国に絡む神話の重要な伝承地としての役割を持っています。
まだ考察を加えていませんが、初代のニギハヤヒは素戔鳴尊(須波仏陀、白人根命、八意思兼尊)とヒルコ(アマテラス)の子供である、五十猛(イエス・キリスト)の可能性が高く、磐船神社の天孫饒速日命はその息子である可能性が高い事が分かります。その上で初代のニギハヤヒ(五十猛、イエス・キリスト)はAD1年生まれと考えられ、神武東征の時がAD190年頃と考えると、ニギハヤヒを名乗った人物が10人前後は居ると思われ、その中で古墳として埋葬されたのは最後のニギハヤヒである可能性が高く、この饒速日命墳墓に埋葬された人物とは、神武東征時のニギハヤヒである可能性が高いとなります。ニギハヤヒという名乗りを一子相伝で名乗ったかも分からないので確実ではありませんが、古墳時代に突入した頃のニギハヤヒとしては本物かと思います。龍海。
饒速日命についての説明は他の方が詳しくされているので、こちらへのアクセスについて。写真に説明を記載しましたのでそちらを見て頂くと迷わず辿り着けると思います。周辺には運動場利用の方しかいませんので、運動せずに脇道に入っていく人はちょっと不審者に思われるかもですね(笑)
私にとって、この饒速日命の墳墓がある桧窪山は、ただの史跡ではなく暮らしの一部であり、山の一角を管理させてもらっている馴染み深い場所です。この場所に、日本の建国神話における重要人物が眠っていると伝えられていることに、不思議な感慨を覚えます。この場所に眠るとされる饒速日命は、神武天皇以前に磐船より天降り、周辺地域を治めていた天孫でした。そして、神武天皇に抵抗した豪族・長髄彦は、家臣であり義理の兄でもあったとされています。『日本書紀』『先代旧事本紀』から饒速日命の多様な人物像を読み解くと、この山の静寂が苦悩を背負った神の魂を鎮めているかのように感じられ、より一層感慨深いものになります。私の知る歴史は、さらにこの場所を奥深いものにしています。ここが饒速日命の墳墓であるという伝承は、実は古代から継承され連綿と続くものではなく、大正3年(1914年)に「金鵄会」という地元の顕彰団体によって、その著作『金鵄発祥史蹟考』の中で特定された、比較的新しい歴史を持つということです。古代の神の墓でありながら、その伝説が生まれたのは近代に入ってから。この二重の歴史を知ることで、この場所への愛着は一層深まります。ここは、神話の物語と、郷土を誇りに思った近代の人々の情熱、そして今を生きる私たちの営みが重なり合う、特別な空間なのだと感じています。これからもこの山の豊かな物語を大切に守り、次の世代へと伝えていきたいと、塚の前で改めて思いました。なお私の曾祖母が子どもの頃は、この山でも松茸がよく採れたとの事です。明治14年頃の南田原村誌によると、松茸は大阪に出荷するために収穫されていたようです。
生駒駅南口よりバスであすか野団地口で下車。生駒市体育協会なグランド突っ切ってハイキングコースからニギハヤヒノミコトのお墓へたどり着きました!帰りは白庭台駅を目指して急斜面を降りて柵を飛び越えて行くと白庭台みはらし公園に出て3分の1の時間で電車に乗ることができました!
矢田丘陵を歩きにいった際、出会いました。白庭台駅から北回りで、桧窪山・山頂に向かうルートにて入山。桧窪山・山頂裏の鉄塔の、金網伝いに歩いていたら、突然、出会いました。お花も交換されていて、誰かが大切に御参りされているようです。
書き込みくださった方々のおかげでたどり着くことができました。最初、白庭台側から行こうとして、鍵の閉まった門ばかりでした。ここの書き込みを見て南側からの経路で歩いて約10分、良い山歩きの後、墳墓にお参りすることができました。途中に火の用心の立て札があり、「ニギハヤヒ」と案内してくれてました。ありがとうございました。
ニギハヤヒノミコトのお墓と伝えられている墳墓です。日本の歴史書では聞いたことのある名前ですがここにお墓があるとは思いませんでした。ここに来る道のりも公式では無く地元のの人でも知る人ぞ知る場所のようです。行き方は他の方も説明していますが「生駒市立総合公園体育館」を目指し「テニスコート駐車場」に駐車したら階段を上って「サッカー場」の端から山道に入ります。赤白の鉄塔を目標にして歩いて行きます。迷いはしませんがコンパスが有れば心強いかも知れません。北を目指すだけです。山道は所々分岐していますが一番踏み固めている道を10分ぐらい歩けばたどり着けます。帰りもテニスコートの横にある赤白の鉄塔を目標にすればいいです。足元は運動靴をお勧めします。雨の日は滑りやすいかも。戻ってきたとき山道を歩く格好ではない団体さんとすれ違いましたが信仰を集めている場所のようです。
ニギハヤヒはアメノオシホミミを父とし、ニニギを弟とする神である。ニギハヤヒはアマテラスに命じられ、多くの部下と共に、天の磐船に乗り。河内のタケルカ゚峰に天下った。そして首長ナガスネヒコの妹炊屋姫を娶りウマシマジをもうけた。都は久志玉彦神社の地に定められた。亡くなった後、遺体は天に召され、遺品を埋め墓とした。墳墓には生駒市営テニスコートに車を停めサッカーコートから尾根伝いに十分余りで到着する。墓には常に供え物がある。交野の磐船神社、お松の宮、夫婦塚、一から三の矢塚、久志玉彦神社など富雄川に沿いニギハヤヒの遺跡がある。
2024年8月17日に参拝しました。物部氏について調べていたため、訪ねてみました。生駒市総合公園テニスコートの駐車場に停めさせていただきました。そこからサッカー場に進み、林間遊歩道を歩きました。たまたま、グランドでお会いしたご老人に饒速日命の御墓の場所をお尋ねしたところ、ご親切に途中まで案内してくださいました。ご老人から「赤と白のツートンの鉄塔を目指して進む」と迷わずに行けると教えていただきました。また、火の用心の赤い看板が、途中に立っています。その看板に小さな文字で「ニギハヤヒの墓→」と書かれており、矢印の方向に歩いて行くと辿り着けました。日本神話に登場する饒速日命は、天照大御神の御孫であり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の兄です。天照大御神から十種の神宝(トクサノカンダカラ)を授かり、天磐船で河内国哮ケ峰(タケルガミネ)に天降られました。その後、再び天磐船に乗船して、大和国矢田の里へ降臨したとされています。神武天皇の東征(東遷)の以前に大和国を開拓した神様です。饒速日命を信奉していた長髄彦は、神武天皇の東征を拒もうとして敗れます。饒速日命は、長髄彦の妹である登美夜毘売(トミヤヒメ)を娶り、宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)をもうけました。宇摩志麻遅命は、長髄彦に神武天皇へ帰順するように諭しますが、長髄彦は聞き入れず、斃されました。宇摩志麻遅命は、神武天皇のもとで重要な役割を担うこととなり、物部氏の先祖となりました。長髄彦と神武天皇が戦った時には、既に饒速日命は、没していたと考えられます。つまり、この地に饒速日命を葬ったのは、妻である登美夜毘売や息子の宇摩志麻遅命、そして信奉者であった長髄彦たちだったと思われます。変哲もない雑木林の中に、葺き石のように小石が積み上げられていました。埋葬地として、なぜ、ここが選ばれたのか不思議に思えましたが、古代では、長髄彦の本拠地だったようです。
| 名前 |
饒速日命墳墓 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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近くなのに土地勘なくてなかなか行けなかったけど…やっと行けた(ToT)車で行く場合は…①まずはテニスコートの駐車場まで行く②駐車場奥の階段を上がる③階段を上がって左に行くと④左側に森林に入る入口あり⑤火の用心の看板に→墓の方向書いてます⑥火の用心の看板5〜6ヶ所あります⑦鉄塔沿いにいけば20分位で到着😆※落ち葉が多いので滑らないように※運動靴がいいです☺️※地元の方の助言で熊除けの鈴、音楽流しながら行く方がいいかも…知れない😅