ビルの谷間に隠れたお稲荷様。
於満稲荷神社(おまんいなりじんじゃ)の特徴
ビルの隙間にひっそり佇む、不思議なお稲荷さんです。
徳川家康の側室ゆかりの神社で、歴史を感じます。
謎富くじやひみつの宝など、訪れる楽しみがあります。
ビルの谷間に鎮座する、お社。
徳川家康の側室ゆかりの神社だそうですが、ビルの間にあって少しかわいそう。
2024年12月上旬に訪問。小さな神社ですが歴史があります!!
ビルの隙間に鎮座。徳川家康公側室の於万の方ゆかりの地の神社。地域で大切にされている感じ。日没後なので書かれた縁起が読みにくいのは仕方ない。2024年11月19日訪問。
日本橋3丁目を歩いていると見つけた神社。規模は大きくないものの、由緒ある神社で驚きました。於満稲荷神社縁起には、以下の説明がありました。此の神社の於満とは、徳川家康公の奥御前で養珠院様(於満の方一五八〇~一六五三)といわれています。養珠院様は二人の男児に恵まれました。徳川御三家紀州家の開祖となった徳川頼宣公と、水戸家の開祖徳川頼房公の御生母です。また八代将軍徳川吉宗公や徳川光圀公(水戸光圀公)も子孫に当たります。一六五七年の「明暦の大火」で江戸城をはじめ、このあたりも記録とともに消失しました。その後復興し、寛文(一六六ー~七三)の記録に、このか満稲荷神社が記されています。言い伝えでは、此の地に幕府のご休憩所があり、心深い養珠院様御一行が神仏寄進のために日本橋界隈に物資調達にお立寄り、商業に多大な貢献をした養珠院様ゆかりの地として、商人達によって神社が建てられたとされています。またそれから百年あまり後の寛延(一七四八~五一)には於満稲荷ゆかりの「松満すし」が江戸中の名物となり、この地の賑わいが記されています。以来約三百五十年間、この稲荷神社は関東大震災など数々の試練を乗り越え、この地の商売繁盛五穀豊穣の稲荷神社として崇められ信仰され続けています。平成十七年、中央区により「養珠院通り」となった通り名の由来にもなりました。平成十七年七月吉日於满稲荷神社世話人一同。
2024年4月26日㈮おまん…。はい満点!
謎富くじとひみつの宝で訪問。工事現場の左隣りのビルの隙間にある。この地の商売繁盛五穀豊穣の稲荷神社だそうです。
路地というか隙間にあるので、入口の看板がなければ高い確率で見逃すことだろう。縁起にある「商業的な貢献」は近頃の表現で言う「爆買い」なのだろう。ある意味、当時の徳川家の権勢を伺い知ることが出来る話かもしれない。それを称えて祀った商人も中々である。
ビルの狭間に貼り付くように鎮座するお稲荷さん。「おまんいなり」と読みますが、於満とは徳川家康公の奥御前で養珠院様(於満の方)のことです。 1657年の「明暦の大火」でこのあたりも消失しましたが、その後復興し、寛文の記録にこの於満稲荷神社が記されています。言い伝えでは、ここに幕府のご休憩所があり、信心深い養珠院様御一行が神仏寄進のために日本橋界隈に物資調達にお立寄ったため、商業に多大な貢献をした養珠院様ゆかりの地として、商人達によって神社が建てられたとされています。 またそれから百年あまり後の寛延には於満稲荷ゆかりの「於満すし」が江戸中の名物となました。「養珠院通り」の由来にもなりました。
| 名前 |
於満稲荷神社(おまんいなりじんじゃ) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ビルの間にひっそりと鎮座するお稲荷様です。