秋の銀杏並木で素敵なひととき。
明治神宮外苑之記の特徴
明治神宮外苑の記石碑は、閑院宮載仁親王が撰文した貴重な作品です。
東北仙台産の板岩を使用し、四メートルの高さを誇る目を引く碑文です。
銀杏の季節には美しい景観が楽しめる、訪れる価値の高いスポットです。
明治神宮外苑の記石碑の題字 「明治神宮外苑之記」明治神宮奉賛会 総裁 閑院宮載仁親王殿下の篆書撰文 明治神宮奉賛会 会長 徳川家達石材 東北仙台産の板岩高・地表四メートル 幅・一、八メートル 厚・〇、三六メートル碑文の大意明治四十五年(一九一二)七月三十日に、明治天皇(第一二二代の天皇・今の天皇の高祖父)、大正三年(一九一四) 四月十一日には、 昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、御遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し上げたいという機運が高まり、 その真心が実って、大正九年(一九二〇)十一月一日、代々木の地に、 明治神宮の御創建となったのであります。明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、 近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な御事蹟と御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、 明治神宮外苑の造営が進められることになりました。これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、 天皇御在中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、又、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地 に、皇室の御下賜金をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により、 十余年の年月をかけて、大正十五年(一九二六)十月に、明治神宮外苑は完成しました。苑内には、天皇・皇后御二方の御一代の御事蹟を、有名画家が描いた八十枚の大壁画が掲げられている白亜の殿堂、聖徳記念絵画館を中心に、野球場、競技場その他の多くの優れた運動施設が設けられ、御仁徳をお偲びしつつ、青少年の心身鍛練の場として、 或いは遊歩を楽しむ人々の憩いの苑 として、崇高森厳の気漲る内苑と相俟って造成されたもので、永く後世に残されるものであります。外苑造成工事全く成り、奉賛会より明治神宮に奉献するに当り、事情の概要を記し、後の世の人々に伝えるものであります。大正十五年十月明治神宮奉賛会 会長 徳川家達と案内にあった。
そもそもこの素敵な景観が生まれた経緯は、明治天皇のご遺徳を長く後世に伝えるためとのことがこの説明に記されています。
石畳を少し渡ったところに碑文の説明看板あり。明治時代の日本の隆興を感じることができます。
オリンピック中の神宮外苑の入り口です。現代美術の作品が2つ並んでいます。ブルーシートと紙で出来たお城です。奥は交通規制が入っており車も人間の統治も出来ませんでした。
銀杏の季節に訪れたい場所。銀杏並木が黄金に輝く季節は沢山の人で混雑しているが、平日の9時頃に訪れれば、ほとんど人気なく素敵な写真も取り放題!最近は中国人観光客のバスも止まるようで、10時過ぎると中国人観光客で埋め尽くされてしまうかも!?
青山通り(国道246号線)に面した明治神宮外苑銀杏並木入口の脇に建っています。大正15年に建てられた石碑は高さは約4mもある立派なものです。目の前にすると圧倒されます。
名前 |
明治神宮外苑之記 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

カップル、老齢のご夫婦、女子グループ、妙齢のご婦人達…勿論私の様なお一人様も兎に角、沢山の人、人、人で溢れていました!ですが、不思議なことに混んでいるにも関わらず、いちょうを見ている大勢の人は穏やかな表情で笑顔で話しながら歩いている人のなんと多い事か!とっても素敵な空間に心癒された!はとバスさん連れて来てくれてありがとう(^0_0^)