古の平安京を感じる、羅城門跡。
羅城門遺址の特徴
平安京の表玄関としての歴史が感じられる場所です。
黒澤明の映画や芥川龍之介の作品との関係も深い史跡です。
普通の公園に見えますが、重要な文化遺産が隠れています。
近くのミスターギョウザでギョウザを食べ、こちらによって、芥川作品の羅生門についてググりましょう。作中では冒頭老婆が遺体の髪を引きちぎっています。今考えても凄い描写です。
ブラタモリでも紹介されていた羅城門跡。もともと平安京の中心門でしたが、洪水のない東側に人々が寄ってきて、再建されなかったとか。秀吉が都を御土居で囲んだ時、丁度端っこに位置していたので、基礎も堀の水の中に埋もれしまい、今は石碑だけなんだとか。藤原道長が羅城門の礎石を持ち帰って法政寺を建てたんだとか。近くの住宅街は暗渠になっている通り(お堀の池)、少し土地が高い住宅(お堀の上)など、土地が歴史を記憶してました。
石碑があるのは小高い丘(遺跡)の上。思ったよりも急斜面なので、スロープのような坂道から登った方が良さそう。桜の時期の京都も、さすがにここは観光客もおらずゆっくり堪能できます。近くの食堂跡の石碑、五重塔跡、羅生門跡も歩いて巡れる距離でした。
石碑:羅城門遺址平安京朱雀大路南端にあった正門。幅約35メートル,奥行約9メートル,高さ約21メートルの二重楼閣であった。弘仁7(816)年大風で倒壊し再建されるが,天元3(980)年暴風で倒壊,以後再建されることはなかった。東寺に所蔵する兜跋毘沙門天像は,羅城門上に安置されていたものと伝える。この石標は羅城門の跡を示すもので,明治28(1895)年の平安遷都千百年紀念祭の事業として建立された。建立年 1895年建立者 京都市参事会寸 法 高284×幅30×奥行29cm碑 文[南] 羅城門遺址[北] 明治二十八年三月 京都市参事会建之(京都市)案内板:羅城門址平安京のメインストリートである朱雀大路の南端設けられた、都の表玄関にあたる大門で、この門を境に京の内外を分けた。弘仁七年(816)の大風により倒壊し、その後に再建されたが、天元三年(980)の暴風雨で再び倒壊した後は再建されることがなかった。一一世紀前半に藤原道長が法成寺造営のため、門の礎石を持ち帰った記述が『小右記』にあり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿となっていたと思われる。付近の発掘調査では、羅城門に関わる遺構は見つかっていないが、東寺の木造兜跋毘沙門天〔とばつびしゃもんてん〕立像(国宝)や三彩鬼瓦(重要文化財、京都国立博物館寄贈)はこの門にあったものと伝えられている。(京都市)Monument: Ruins of RajomonThe main gate at the southern end of Heiankyo Suzaku-oji Street. It was a double tower with a width of about 35 meters, a depth of about 9 meters, and a height of about 21 meters. It was destroyed by a strong wind in 816 (Konin) and rebuilt, but it was destroyed by a storm in 980 (Tengen 3) and was never rebuilt. It is said that the statue of Tobatsu Bishamonten in Toji Temple was enshrined above Rajomon Gate. This stone marker marks the site of Rajomon, and was erected in 1895 as part of the 1000th anniversary celebration of the transfer of the capital to Heian.Established 1895Founder Kyoto City CouncilDimensions height 284 x width 30 x depth 29 cmInscription[South] Rajomon Ruins[North] March 1893 Kyoto City Council Takeyuki(Kyoto City)Guide board: Rajomon RuinsAt the southern end of Suzaku-oji, the main street of Heian-kyo, is the Daimon, which is the main entrance to the capital, dividing the inside and outside of Kyoto. It was destroyed by a strong wind in the 7th year of Konin (816) and rebuilt after that, but it was not rebuilt after being destroyed again by a storm in the 3rd year of Tengen (980). In the first half of the 11th century, Fujiwara no Michinaga brought back the foundation stone of the gate for the construction of Hojoji Temple.Excavations in the area have not found any remains related to Rajomon, but the standing wooden statue of Bishamonten (National Treasure) and Sansai Onigawara (Important Cultural Property, donated to the Kyoto National Museum) of Toji Temple are located at this gate. It is said that there was(Kyoto City)
羅生門跡に初訪問しました。確か義務教育の国語の教科書に芥川龍之介の『羅生門』あったよな?小学校の時やった気がする。カンタダの『蜘蛛の糸』も教科書であった気がするな。知らんけどwとりあえず2~3年前にとんでもない事に気が付いたんよ。源氏物語に出てくる天皇陛下の名前が『朱雀帝』『冷泉帝』って京都の道の名前からなんやな。学生時代からこの辺ウロウロしてたけど気付かなかったよ。だって今は朱雀大路なんか存在しないし冷泉通りって鴨川で切れて平安神宮の中に通ってる道やもんな。小生クラスのプロは京都の道の名前を火曜サスペンスのドラマで言ってたセリフを覚えてたもんな。『まるたけえびすにおしおいけ』『あねさんろっかくたこにしき』『しややぶったかまつまんごじょう』これ京都市の東西に走ってる道の名前でそこに冷泉通りが無いから気が付かんってw朱雀大路が何故無いのかってのは竹田恒靖氏のYouTube竹田学校で理解したわ。道幅200m?の朱雀大路を建設したけど道沿いに住んでる住民が家の前に畑を勝手に作ってそこを自分の土地にしたから無くなったんやって。だから本来の京都の道は碁盤の目になってたのに現在は縦横真っ直ぐな道やなくて少し曲がったりカーブになってたり細い路地があったりするって歴史解説聞いて目から鱗やったです。
住宅と道路に挟まれた小さな公園に石碑が残るのみですが、ここにあの有名な羅城門があったと想像するとロマンを感じますね。
先ずは、平安京の表玄関となる羅城門跡を訪問して、再建されなかった門を偲んでパシャり~🤳。そして、東寺があるなら西寺も…と思っていた西寺跡となる唐橋西寺公園も訪問~(^^)。
平安京の表門だった羅城門は、幅約80m・高さ約24mを誇る大きな門だったとされていますが、いまだに遺構は確認されていません。延歴13年(794年)の平安京建設から200年後に起きた暴風雨により、倒壊して以来再建されず、荒れ果てたその門には鬼が住むと云われ、渡辺綱の鬼退治伝説が残っていますが、なんといっても黒澤明の名作「羅生門」によりその名が知られることになりました。現在は児童公園に石碑が建っています。
碑が公園内にぽつんと建ってます。ここがあの羅生門かと思うと何とも寂しい感じですが、歴史に思いを馳せるしかないかな。すぐ近くの弘法大師が襲われた場所も併せて観ると歴史感じます。
名前 |
羅城門遺址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi05.html |
評価 |
3.5 |
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京の都の可の昔には真正面の門 羅生門此の門が創建為されました時は増大な羅生門であった事でございましょうね、近年遺址だけがぽっんと建って居りますが、千二百年の歴史の重みをひしひし感じられる場所でございますし、数十年前には今上天皇陛下も御見学を賜ってございます、瞼を閉じて朱雀大路に立ったと空想を画き、正面の御所を遥かに望み牛車や馬上武士、多くの民の行き交いが、九条通りから丸太町通り間でごった返したと、想像致した時長丁場の時の流を想い起こしてございます。