二の丸庭園の風雅な茶屋。
諏訪の茶屋の特徴
明治天皇発案の歴史的建物で、戦利品収蔵の役割があった。
江戸時代の数奇屋風書院茶室様式を受け継ぐ茶室が魅力。
諏訪社の伝説に由来する名前が印象的である。
二の丸庭園へ向かう途中に佇む、控えめでありながら美しい茶屋建築。自然と建築が調和する日本の様式美が、ここに凝縮されています。華美な主張は一切ない。ただそこにあるだけで、空間全体を整える。日本の美意識における引き算がこれほど機能している建物は、都内でも数少ないと思います。そばには枝いっぱいに鮮やかな濃い桃色の花をつけた木があり、静かな庭園の中でそこだけがふわりと色を持っていました。散策のペースを落として、この建物の前に少し立ち止まってみてください。見れば見るほど、奥行きが増します。2026.3 撮影📸
二の丸の二の丸庭園の前にありました。元々は違う場所にあったようです。京都に来たような気になってしまう雰囲気がありました。中には入れないようです。
樹々が沢山ある道を抜けて二の丸庭園へ向かう途中に諏訪の茶屋があります。目の前にベンチがあり、そこで小休憩をしながら眺めるのもまたよかったです。欲を言えば、建物をもう少し近くで見たいなとは思いました。〜説明文〜諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、皇居内の吹上地区に建てられたものです。その場所に、江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が付いています。昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。
この建物は元々、北清事変終結後に明治天皇発案で日本将兵の勲労を伝えること、事変での戦利品収蔵と戦没した将兵らの肖像と名簿を保管するために造営された御府の一つ、懐遠府だったものです。戦後になりこちらへ移築され、一般公開されています、戦前期に建築された木造建築ですが当時の職人らの丁寧な仕事ぶりを目にすることができます。
2024年3月14日(木)に撮影。美しい木造建造物です。某解説:「諏訪の茶屋は、もともと、明治45年(1912)に皇居内の吹上地区に建てられたものです。その場所に、江戸時代、諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前がついています。昭和43年(1968)に現在の場所に移築されました。諏訪社の創建年代は不明ですが江戸城築城以前から存在していたと考えられています。江戸時代には徳川将軍家の守護神として信仰されていました。諏訪社の祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。」
明治天皇の命を受け1912 年(明治45年)に皇居敷地内西側の吹上御苑に創建された。その優雅な外観のため、東御苑の整備・一般公開にあたり、現在の二の丸庭園へ移設された(1968 年)。名前は神道の「諏訪大明神」に因み、最初の建造場所の近くには小さな神社があったという。
二の丸庭園にある風雅なたたずまいの茶室。明治45年に皇居内の吹上地区の吹上御苑に建てられたものを、昭和43年に東御苑の整備の際に現在の場所に移築されたそうです。外観の鑑賞のみで中は見れませんでしたが、優雅な雰囲気が醸し出されており素敵でした。※ 2023年12月26日に投稿。
江戸時代には現在の吹上御苑(御所)近くにあった茶室で数奇屋風の書院茶室様式となっています。明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を持っているため、皇居東御苑の整備に当りここに移されました。
もともとは、明治天皇の御指示を受けて、皇居の西側にある吹上御苑に明治45(1912)年に建たてられたもので、その場所に、昔は諏訪の神を祀る諏訪社があったと言いわれており、諏訪の茶屋の名前も、そのことに由来する。明治時代の数寄屋建築として優雅な外観をもっているため、皇居東御苑の整備に当あたり、現在の場所に移され現在に至る。
| 名前 |
諏訪の茶屋 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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2026.6.18(木)に訪問。外から眺めるだけで中へは入れませんでした。