京都の穴場、静寂の宝塔寺。
宝塔寺の特徴
宝塔寺は平安時代創建、藤原基経の発願で始まった歴史ある寺院です。
室町時代に建てられた重要文化財の多宝塔は京都市内最古の建築物です。
伏見稲荷大社から南へ10分、静かで荘厳な雰囲気が魅力的です。
伏見稲荷大社から南へ伸びる道沿いに建つ日蓮宗寺院。多くの重要文化財が建ち並ぶ寺院ですが、境内の紅葉も見事です。宝塔寺は元々平安時代前期に藤原基経によって建立された極楽寺でした。鎌倉時代に日蓮宗の復権を日蓮に託された日像が、極楽寺の住職を日蓮宗に改宗させることに成功して「宝塔寺」と改名しました。この寺院の象徴だった宝塔からこの名称が付きました。ちなみに日像は宝塔寺を拠点に京都市街地中心部に日蓮宗の寺院を建立することに尽力し、妙顕寺や立本寺を建立しました。
伊藤若冲のお寺、石峰寺から近い場所にあります。日蓮宗のお寺です。朱色が鮮やかな仁王門が遠目でも立派です。多宝塔、鐘楼、本堂が立派で見応えがあります。観光寺ではないですが、自由に境内を散策できるのは嬉しいです。御朱印は、書置きのみの対応です。
寳塔寺を参拝、隣のインバウンドの方々と観光客で喧騒状態の伏見稲荷と違い、実に閑静としています。ゆっくりと広大な境内を散策出来るのが有難い、朱色が艶やかな仁王門、京都市内に現存する最古の多宝塔は優美な佇まい、境内の最奥に高台に鎮座している七面宮 と 見所満載のスポットです。今までは日曽利としていましたが、此の御寺さんは源氏物語の由緒が有るので、此れからは少し参拝客が増えるかもです。2024年3月頭時点、、
龍谷大前深草駅から徒歩10分程度、山の中腹にあります。駅前の道路は伏見稲荷へ向かう車で渋滞していますが、ここは静寂に包まれています。中世の宝塔、江戸時代初期の本堂等々、古い建築がたくさんあり、かつ観光客も少ないので、以前ののんびりした京都を味わう事ができます。
京都旅行の穴場的な場所ですが過度な期待はしないでください。
宝塔寺の前身は藤原基経開基の真言宗極楽寺で、日蓮の遺命を受けて京での布教に邁進する日像によって寺ごと乗っ取られました。堂塔の配置と様式が日蓮宗寺院らしくないのはそのためです。時を選ばず、相手を選ばずに喧嘩を売り歩く日蓮宗に対する他宗派の反発は募るばかりとなり、後に「天文法難」あるいは「天文法華の乱」として爆発します。京都の日蓮宗寺院はことごとく焼き討ちにあい、宝塔寺も多宝塔をのぞき全山焼失します。京都の日蓮宗寺院に国宝の堂塔はなく、国重文もそうそうないのはその結果でもありますが、中世からの多宝塔の他に、近世に再建された総門と本堂が国重文に指定されている宝塔寺は稀有な例外と言えます。ただ、お寺さんの側には観光地化するするつもりはさらさらないようで、参拝料はなし、宣伝もなし、伏見稲荷大社から歩いて一五分という好立地にありながら、墓参の檀家さん、散歩のご近所さんはいても、観光客はほとんどいません。もっとも、勝手に来て勝手に拝観する分には何の不自由もありませんし、十分な見ごたえです。あと、藤原基経って誰やねんと思った方はWikipediaか、灰原薬さんの漫画「応天の門」をご覧ください。前者は教科書的な意味で正しく、後者は物語として楽しめます(主人公は若き菅原道真と在原業平で、基経は敵役…とも言い切れない複雑な人物として描かれています)。
今日は、千仏堂鬼子母神をたずねて宝塔寺境内を通り来ました。
観光寺院では有りませんが文化財も多くあり境内への立ち入りも可能です。近年観光客でごった返す稲荷大社の隣とは思えない風情があり訪れる人も少ないので時代劇の撮影場所だったりする所です。平安時代中期に藤原基経の発願で時平が創建した真言宗「極楽寺」に始まり、鎌倉後期に日像の布教を機に日蓮宗へ改宗しています。永平寺を開いた道元禅師(曹洞宗開祖)が京都の深草に開創した興聖寺は当寺院境内にあったのでは?との説もあります。(境内の安養院に住んでいました)重要文化財:本堂、多宝塔、総門西方浄土、夕暮れ時がオススメです。
山号を深草山、ご本尊を三宝尊とする日蓮宗のお寺。850年頃、日本史上初めて関白となった藤原基経の発願で創建され、899年に聖宝が開山した真言宗の極楽寺が前身。鎌倉末期、京で日蓮宗を布教していた日像と法論した当時の住持・良桂が1307年に日像に帰依することになり、1310年頃、日蓮宗へ改宗した。1342年、妙顕寺で入寂した日像の遺言で、当寺にて荼毘に付され、葬られた。かつて日像が京の七口に建てた題目石塔のひとつを日像廟に祀ったことで宝塔寺と名乗るようになったとされている。その後、応仁の乱(1467年)や天文法華の乱(1537年)で多宝塔を残して全焼し、ようやく1590年になって伽藍が再建されている。23/01/20、京都医療センターに通院した後、深草を巡った際、宝塔寺をお詣りした。1608年再建の本堂や1439年以前の京都で一番古い多宝塔、室町期に建立された総門などの重要文化財、1666年に七面天女を勧進して建てられた七面堂、伏見人形発祥の地といわれる千仏堂など見て回るものが多かった。
名前 |
宝塔寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-641-1859 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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宝塔寺(深草山宝塔寺)は、京都市伏見区深草に位置する日蓮宗の寺院で、平安時代初期に藤原基経が創建し、息子の藤原時平が伽藍を整えた極楽寺を前身としています。その後、鎌倉時代の1307年(徳治2年)に住職の良桂が日像上人に帰依し、日蓮宗に改宗。これを機に寺名も「宝塔寺」と改められました。日像上人は日蓮宗を京都で初めて布教した僧であり、その廟所が境内にあることから、この寺は日蓮宗の歴史的な拠点として重要な位置づけを持っています。境内には国の重要文化財に指定されている本堂、多宝塔、四脚門があり、それぞれが歴史的価値を持っています。特に多宝塔は室町時代中期に建立されたもので、京都市内最古のものとされています。また、本堂裏手の七面山には七面大明神を祀る七面宮があり、ここからは伏見の街並みや西山の山々を望むことができます。この七面宮は近世には関西地域における七面山信仰の拠点として栄えました。さらに、宝塔寺は『源氏物語』第33帖「藤裏葉」にも登場するなど、文学的な背景も持つ場所です。かつてこの地が極楽寺と呼ばれていた名残は、現在も「深草極楽寺町」という地名に見ることができます。また、歴史的転換点として、この寺は真言宗から日蓮宗への改宗を通じて仏教文化の多様性を象徴する存在でもあります。アクセスは京阪電車「龍谷大前深草駅」やJR奈良線「稲荷駅」から徒歩圏内と便利で、観光地としてだけでなく静かな参拝場所としても親しまれています。宝塔寺はその長い歴史と文化的背景から、多くの人々に深い感銘を与える場所です。