歴代天皇が眠る深草北陵。
深草北陵(深草十二帝陵)の特徴
深草北陵には歴代天皇12名の御陵があり、独特の歴史が感じられます。
1862年から整備された方形堂の陵墓は非常に珍しい存在です。
京都一周トレイル東山コースの近くに位置し、訪れる価値があります。
深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)は、京都府京都市伏見区にある天皇陵です。鎌倉時代から室町時代にかけての持明院統の歴代12人の天皇の陵および伏見宮栄仁親王の墓が営まれています。過去には深草法華堂・深草十二帝陵・安楽行院法華堂と呼ばれた。陵形は方形堂になります。沿革として説明されているのが、持明院統の後深草法皇は、生前より、深草に納骨堂となる法華堂を建立するように指示していました。嘉元2年(1304年)7月16日に後深草は崩御し、遺命によって火葬されました。遺骨はいったん安楽行院の仏壇下に納められたが、後深草の指示通り、深草に法華堂が建立されると、嘉元3年(1305年)8月29日、伏見上皇と後伏見上皇が見守るなか落慶供養が行われ、後深草の遺骨が移されました。因みに鎌倉から室町時代は深草北陵使用しますが、江戸時代は、泉涌寺の右奥に霊明殿の前を通り、その奥に月輪陵(つきのわのみささぎ)に葬られています。御所で亡くなられた天皇は、人が顔の前にぬのに骨壺を入れて、深草北陵まで歩いて運ばれたと、泉涌寺の学芸員の方は、言われてました。アクセスは、京阪本線藤森駅(ふじのもり)から徒歩12分です。JR奈良線の踏切沿いに広がってます。
南北朝時代と言えば後醍醐天皇が有名ですが発端はこの陵墓の主、後深草天皇です。持明院統と大覚寺統に皇統が分裂し競い合っていた時期を含め後深草天皇(鎌倉時代)〜後陽成天皇(江戸時代)と約300年に亘る持明院統(北朝)の天皇を中心に合葬されていてその数は天皇が12(北朝を含む)と泉涌寺に次いで多い所です。幕末まであった安楽行院(寺院)を法華堂だけ残して整備した陵墓は江戸時代の月輪陵(泉涌寺)より質素です。駐車場有公共交通機関では近鉄竹田駅からの市営バス(僧坊町バス停)が近いですが京阪藤森駅〜陵墓〜宝塔寺 〜お稲荷さん〜JR稲荷駅へと徒歩で行きました。
天皇家が二つに別れていた南北朝時代、持明院統の十二の天皇が合葬されている深草北陵「ふかくさのきたのきたのみささぎ」に来ました。思ったより小さな陵墓来ですが、静かに整えられています。
1862年(文久2年)から行った「文久の修陵」で整備された、方形堂の陵墓です。指定されているのは、以下の13人です。第89代 後深草天皇第92代 伏見天皇第93代 後伏見天皇北朝第4代 後光厳天皇北朝第5代 後円融天皇第100代 後小松天皇第101代 称光天皇第103代 後土御門天皇第104代 後柏原天皇第105代 後奈良天皇第106代 正親町天皇第107代 後陽成天皇栄仁親王(伏見宮初代当主)
駐車場が隣接している、建物がある御陵は非常に珍しいです。最寄りは京阪藤森駅。JRだと少々歩かないといけないですが歩けない距離ではないです。
鎌倉末期、89代・後深草帝に始まる持明院統の92代・伏見帝、93代・後伏見帝、北朝4代・後光厳帝、北朝5代・後円融帝、100代・後小松帝、101代・称光帝、103代・後土御門帝、104代・後柏原帝、105代・後奈良帝、106代・正親町帝、江戸初期の107代・後陽成帝までの歴代天皇と栄仁親王が合祀されている。この間、鎌倉幕府崩壊、建武の新政、南北朝、応仁の乱、戦国期、室町幕府崩壊、信長の天下統一事業開始、秀吉の天下統一完成、徳川幕府の成立といった激動の300年間に即位した天皇のお墓だ。十二人の天皇が葬られているので、深草十二帝陵とも呼ばれている。23/01/20、京都医療センターに通院した後、藤森から深草へ歩いて巡った。激しい時代の流れの中、折り合いが悪かったためか108代・御水尾帝以降の天皇は泉涌寺に葬られることになったようで、深草北陵は表向きは静かな陵墓だったが、裏ではそうではなかったのだろうなあ。
後深草、伏見、後伏見、後小松、称光、後土御門、後柏原、後奈良、正親町、後陽成、十帝合葬車一台停めれます。
京都一周トレイル東山コースの近くに有りました。中には入れずです。他の御陵と同じ雰囲気ですがこじんまり_御陵でした。
場所がわかりにくいですね 駐車場が前にあることもわかりにくいです。
名前 |
深草北陵(深草十二帝陵) |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-601-1863 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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文字通り歴代天皇12名が眠られている御陵(お墓)。近年の天皇は日本神道で祀られていますが、こちらは火葬されて仏教式で祀られています。敷地はかなり広大ですが、宮内庁管理のため敷地内は非公開です。(入り口付近で、参拝は可能)ちなみに、嘉祥寺(深草聖天)境内から見える塀の先は、この十二帝陵の一部です。近くにJR奈良線の線路が敷かれており、ときどきそちらをJR奈良線の車両が通過します。実はJR奈良線に乗っていると、車窓からこちらが見えます。