宇治の許波多神社、縁起の秘石!
許波多神社の特徴
大海人皇子の腰掛け石があり、縁起が良い神社です。
古墳と共に鎮座している名神大社の論社の一社です。
参道沿いの出店が楽しい11月の祭りが魅力的です。
22年10月13日に訪れました。大化元年(645年)、皇極天皇が夢でお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営したのがはじまりです。御祭神は、天忍穂耳命です。大海人皇子や坂上田村麻呂が戦勝を祈願したため、勝運を授ける神社として信仰されています。本殿前に大海人皇子(後の天武天皇)が腰掛けて休んだと伝わる「お休み石」があり、この石に腰掛けると勝運が授かるといわれています。田中神社も合祀されています。境内には「狐塚」と呼ばれる宇治陵第36号墳墓があり、藤原基経の墓といわれています。また、本殿向かって左側には立派なくすのきがあり、樹齢約150年、高さ22m、幹回り3.3mあります。毎月1日、15日9~12時に御朱印がいただけます。JRの線路沿いにある遊歩道の近くにあり、遊歩道を散策している時に『許波多神社』を見つけ行ってみました。近くの保育園の園児が神社の境内を散歩していました。
額田王の思い人だった、大海人皇子の腰掛け石がなんとも縁起よいです。楠の大木もいい雰囲気を作ってます。
御祭神:天忍穂耳尊/天照大御神/天津日子根命社伝によれば大化元年(645)、第35代・皇極天皇が霊夢で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営させたのが起源と伝えられています。現在の鎮座地は応保年間(1161-1163)に柳山から分祀されたと言われています。また、明治41年(1908)に旧河原村の田中神社を合祀したため、田中神社の御祭神であった天照大御神、天津日子根命も当社の御祭神となりました。拝:2021/11/13
延喜式神名帳の山城國宇治郡の項に記載のある名神大社の論社の一社。JRの木幡駅からすぐのところに鎮座。この付近には大小300以上の古墳や藤原氏等の陵墓があるが、宮内庁によって、宇治陵は37号まで番号がつけられた。境内にはそのうちの36号がある。御祭神は正哉吾末勝々速日天忍穂耳尊、天照大御神、天津日子根命となっている。創建時期は大化元年(645)という。
宇治市に現存する許波多神社は2ヶ所あり、その一つとして古墳と共に鎮座されてます。東側山手の黄檗トンネル近くの元社 (黄檗公園辺り)は、旧日本軍による弾薬庫設営のため移築されました。かつて、その弾薬庫への移送貨物鉄道の軌道が神社裏にありました。今はレールを撤去されてますが、盛り土した軌道堤が木幡北池の方まで残って現在は遊歩道u0026 公園になっています。交差する道路を越えるための高架橋脚跡が何箇所か残っていますが、少し不思議な存在なので御存知ない方も多い様です。(本殿脇の階段を登ると解ります)戦時期宇治市は軍事関係の施設が多く、終戦間際に空襲を受けて、大きな戦災を経験しました。市内には現在、自衛隊の駐屯地が2ヶ所あります。JRと京阪電車が並走していて、何かと混雑する旧道沿いに狭い入口の参道があります。由緒正しく、延喜式内宮の社格で、「記紀」にも面白い物語が記載されてる莵道に鎮座される神様です。勝ち運をもたらす神様なので勝負前に御参拝を。
小さな神社ですが、非常に霊験あらかたなところだと思います。御神木も立派です。社務所は基本的に毎月1日と15日の午前中しか開いていないので、御朱印などをご希望の方は気をつけてください。
途中まで、車が入れるので有難いです。お礼にうかがえる限り、通います‼️見守って頂いてありがとうございます~❣️
11月に祭りがあり参道沿いに出店が軒を連ねます。参拝者も多く賑やかです。次は祭りの時に出掛けたいと思います。
宇治の小社に、背面から入るのがお気に入り神木を眼前に一礼。
名前 |
許波多神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0774-31-5557 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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京都府宇治市木幡東中1にある神社⛩️です。大化元年(645)の建立され、皇位継承をめぐる壬申の乱を前に、大海人皇子(天武天皇)が戦勝を祈願しています。さらには坂上田村麻呂が東征に際して武運を祈ったことから、勝運を授かる神社として信仰されているそうです。JR木幡駅か290メートル遊歩道があり、木幡緑道といわれていまして、かっては、旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場鉄道引込線跡で戦争遺跡になります。近くに宇治川があり、船便か行きやすい理由で造られたと言われています。アクセスは、木幡(京都府・京阪線)駅出口1出口から徒歩約5分木幡(京都府・奈良線)駅出口から徒歩約6分六地蔵(奈良線)駅出口から徒歩約10分。