最高の眺め、毘沙門天と共に。
悲田院の特徴
七福神巡りでは毘沙門天が祀られており、特別公開を楽しむことができます。
京都市内を一望できる美しい眺めが魅力で、四季折々の景色を楽しむことができます。
2023年10月22日に参拝しました。泉涌寺の塔頭で、室町時代に後花園天皇の勅願寺となったことから代々の住職は天皇の綸旨を賜り紫衣参内を許可されたそうです。境内は狭いですが、由緒あるお寺のようです。
中世の救済施設、ご存知ですか?東山の山嶺、泉涌寺の参道途中に道案内があります。木立ちの中を少し歩くと山門が見えてきます。弱者、病者、孤児等を救済する為建立されたお寺とのことです。詳しくは存じていませんが、慈悲深い雰囲氣に満ちた静かなお寺です。境内の外れにベンチがあります。ここから京都市が一望出来ます。余り知られていませんが、是非御参りしてみて下さい。心休まる場所です。
2024.7.23NHK大河ドラマでは文字を教えた子供が疫病にかかり、この施設に送り込まれます、それが悲田院。当時は鴨川の辺りに存在した様です。現在の悲田院は泉涌寺の塔頭、元は聖徳太子の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救う為に作られた施設。普段は非公開、ですが電話予約(3日前以上)すれば可能と有ります。それ以外は特別拝観日のみ公開となります。本尊の阿弥陀如来様は快慶作、美しい顔と手が逆になっているのが特徴、あの手この手で苦しんでいる人を絶対に救うという意思表示だそうだ。普段は泉山七福神として毘沙門堂に毘沙門天を祀っているから、ここは拝観可能です。たまたま高校生と一緒になりました。有り難かったのは引率の先生。比叡山から始まる景観や五山の送り火、それに関わる歴史等、教壇の特別版だ😊思わず聞き入って、最後は皆で拍手だ。勉強になりました✌️
泉涌寺の少し下にあるお寺私道のため車の乗り入れができないので、歩いて訪問しましょう予約などはしていなかったので、外からの拝観のみでしたが、高台からの景色がとてもよく、気持ちよかったです。静かで厳かな雰囲気の中、お散歩できてとても体が浄化された気分です。
【悲田院】⑥毘沙門天・泉涌寺(真言宗泉涌寺派総本山)の塔頭の1つです。・この地は、身寄りのない老人や貧しい人、親のない子ごもを収容する福祉施設である悲田院は、難波京や平城京内に設けられておりました。・本堂は再興時の建物で、本尊の阿弥陀如来立像のほか、鎌倉時代を代表とする彫刻家である快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像が祀られ、襖絵は「土佐光起・光成親子」の力作である。・境内には、弘法大師像も安置されております。🙏・毘沙門堂の毘沙門天は「泉山七福神巡り」の第6番札所として現在も厚く信仰を集めております。・また、煎茶道「東仙流」の総司所として煎茶道の普及になった所でも有名です。・毎年8月16日のお盆の最終日に行われる「京都五山送り火」は、ここから一望できる、絶好のスポットです。🤗
御朱印は住職が忙しいようです。インターホンを何回も鳴らしました。諦めてはいけません。
平日に訪問したが、何も見るものは無し。しかし、眺めは良かった。
泉涌寺の参道から少し奥に入った静かな所にあります。境内からの京都の展望が素晴らしいです。門前に駐車場あり。
悲田院は真言宗泉涌寺派の総本山である泉涌寺の塔頭。悲田院とは本来、仏教の慈悲の教えに基づいて、身寄りのないお年寄りや子供たちを救済するための福祉施設で、聖徳太子が大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが最初といいます。実際は聖武天皇の光明皇后が興福寺に四箇院のうちの施薬院(病院・薬局)と悲田院を建てたのが記録上は最古のもの。平安時代になって平安京にも作られたのですが、時を経て消滅してしまった。延慶元年(1308)に無人和尚が一条安居院に寺として再興し、その後正保三年(1646)に現在地に移転しています。春と秋に京都市内の寺社の特別公開があるのですが、そのときに参拝。特別公開時期に限っては快慶の作である宝冠阿弥陀如来坐像や、印を結ぶ手が逆になっている逆手阿弥陀立像を見ることができます。
名前 |
悲田院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-561-8781 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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泉涌寺の塔頭で小高いところにあってサクラが咲き乱れる京都が一望。ざわつかない静かな京都を感じられました。あの日出つる~ででてきた悲田院とも関係がありとも伺いテンション上がりました。