五砦のひとつ、歴史が息づく!
君ヶ伏床砦跡の特徴
祖父との思い出が深い、歴史を感じる場所です。
発掘調査で出土した大鎧が壮観です。
長篠城に隣接する五砦の一つとして知られています。
こどもの頃実家のすぐ上だったので よく祖父とお掃除に行きました 昔一度発掘調査された際は大鎧が出てきたそうです 天狗もいました。
こんな所を守備する必要があったのか?と思われがち北側の県道69号線の街道を武田軍は警戒しておりませんむしろ南方当時の交通は東の黄楊橋なんて深い谷に架けられないので橋を架けるよりも山を越えて歩くものそこで南の榎下の住所から山を越えて上吉田、ひいては浜松から来る家康軍を探知するそんな関所の役割を担っていたそう考えると納得。
長篠城を包囲した五砦のひとつ。守将は和田兵部業繁。麓の船多神社裏から歩いていきました。頂上に石碑あり。
| 名前 |
君ヶ伏床砦跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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君ケ臥戸砦(きみがふしど)とも呼ばれます。麓にある舟多神社の右奥に登山口があり、そこから15分程で到着しました。道中は軽い登山になるので要注意です。元々はハイキングコースだったようで登り切るといくつかのアスレチック系の遊具が置いてありましたが、草で覆われて誰も利用していない様子でした。君ケ臥戸砦は長篠城を囲むために武田軍が築いた砦の1つで和田業繁が入っていましたが、長篠合戦当日の朝8時頃に織田・徳川連合軍に背後から急襲された結果、砦は奪われ和田業繁も討死しました。和田業繁は上野国の国衆で元々は上杉家に従属していましたが、永禄5年(1562年)に武田氏に攻められ降伏従属しています。業繁の跡は養子の信業(のぶなり)が継いでいますが、信業は武田重臣・跡部勝資の子供です。武田氏は従属した国衆に偏諱(1字)を与えて絆を深めており、どの字を与えられたかでその家の家格を測ることが出来ます。信業の初名は昌業(まさなり)でまずは「昌」の字を与えられましたが、後に「信」の字を与えられ信業に改名しています。「信」は武田氏の最上格の字と言われています。よって和田氏は武田の中で徐々に地位を上げ、最終的には国衆として最上位まで上り詰めたのではないかと思います。