隨心院で感受する小野梅の趣。
小野梅園の特徴
随心院の境内にある名所、梅が楽しめる場所です。
名勝小野梅園の石標が目印で、広々とした梅園が広がっています。
無料で解放されており、地元の人にも愛される隠れたスポットです。
梅は花だけではなく、幹や枝に趣きがある。ただ梅園自体は広くない。
2025.3/22(土)の11時頃に行くと、駐車場はまだ空いててすぐに停めれました。まだ満開になってなかったからか園内も人がまばらでゆっくり梅を観ることができました。そこまで広すぎない梅園で三周歩いても疲れず、丁度良かったです。来週辺りは満開で人が混むのかな。
梅園の公開は本日3月23日までとのことですが未だ5分咲きと云うところです。古木のに咲く花の美しさも良いものです。満開までは公開を続けてほしいところです。
今年の梅園が閉園する前にと行きました!少し白んだ晴天の休日、沢山の来園者です。梅園の入園口は随心院の拝観入口の反対側にあります。随心院の拝観料とは別途入園料が必要です。この時の園内の梅はまだ5分咲きで、蕾がいっぱい。ですが、華やかに咲く品種が綺麗に咲いていて見応えがありました。開放されてた茶席からの眺めも素敵!鶯のホーホケキョも聞けました〜一旦閉まる梅園ですが“はねず踊り”の日には梅園も公開されるそうで、その頃は満開で見事だろうなぁと思います。
年に1階の特別公開。200本の梅が綺麗咲き誇っている。梅の種類がはねずうめ。
令和二年 7月26日 京都梅雨の旅随心院 小野梅園時期外れなので緑一色ですが、それもまたいい♪境内には約230本の梅の木があります。山紅梅、白梅、薄紅梅などがあり2月末から咲き始め3月中旬が見頃となる。もっとも多い薄紅梅の色である薄紅梅色を「はねずいろ」ということから「はねずの梅」とも呼ばれています(*^^*)
随心院の 入口前の 境内にある。 文字通り 年に一度 梅が一斉に 咲く時期に公開される。 梅園には約200本の色とりどりの梅の木があって、 それらが全て花開くと、 なかなか 壮大な景色となる。 名前の由来は 随心院に かつて 居住していたという 小野小町に基づく。 世界三大美女の1人と言われるが、 小野小町 本人については、 その存在は 確認されているわけではなく、 不明な点も多い。 小野一族からは 、遣隋使として有名な 小野妹子や 歌人の 小野篁が出ている。
3/19(土)地下鉄小野駅から10分程、昨年随心院を訪れた時に地元の人に勧められた梅を見に訪れました。小さな梅園ですが薄紅色の花は、想像した以上に上品で美しかった。幹を見ると樹齢○百年?と思われる立派な幹も…新しい枝が幹に、又新しい枝へと歴史を繋いでいるのが解ります。正に今が賞梅の時期と言えます。入場料300円。実はこの随心院、昨年訪れた時は生憎、年末時代劇のロケでね、結局、中の庭見てさようならでした。今日は、小町庭園の清瀧権現堂、ラブレターを埋めた文塚、そして朝夕に顔を洗ったという化粧井戸も合わせて拝見です。ロケをやっていた薬医門から見る大玄関にはお客様一杯なのに、小雨のせいか、こちらの方は誰もいません。もったいないから見といた方が良いと思いますよ!
さすがに名所に数えられる梅園だ。 大勢の人が訪れていた。ただ昨年から見ると多くの枝が育ちすぎたのか、切られていてやや迫力に欠けていた。 また数年後には 勇壮な風景を見せてくれるだろう。
| 名前 |
小野梅園 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-571-0025 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
小野梅園(おのばいえん)は、京都市山科区にある門跡寺院・隨心院(ずいしんいん)の境内にある、京都屈指の梅の名所です。平安時代の女流歌人・小野小町ゆかりの地として知られ、広大な敷地に約200本の梅が咲き誇ります。主な特徴と見どころはねずの梅: 「はねず」とは薄紅色を指す古語で、この園を象徴する遅咲きの八重の紅梅です。あでやかで愛らしい花姿が特徴です。はねず踊り: 毎年3月の最終日曜日には、小野小町の伝説をモチーフにした「はねず踊り」が開催されます。地元の小学生が華やかな衣装をまとい、童歌に合わせて踊る伝統行事です。襖絵「極彩色梅匂小町絵図」: 隨心院の能の間には、小野小町の一生を描いた鮮やかなピンク色の襖絵があり、梅園と合わせて人気のフォトスポットとなっています。2026年の公開情報とアクセス現在の開花状況はつぼみ(2月26日時点)で、見頃は例年3月中旬から下旬にかけてです。公開期間: 2026年3月7日(土) 〜 3月22日(日) 予定3月7日・8日には、キッチンカーが集まる「小町美味いもんマルシェ」などのオープニングイベントも予定されています。ーーーーー三者を繋ぐ「はねず色」の絆:滅びゆく鳥の記憶この三者の関係を語る上で欠かせないのは、単なる「薄紅」という色調ではなく、かつて日本の空を「うなるほど」埋め尽くしていた朱鷺(トキ)の群れが見せた幻の光景です。小野小町と「はねず」小町が自らの美しさと人生を投影したのは、鶴のような「万年」の平穏でも、カラスのような「知恵による生存」でもありませんでした。彼女が選んだのは、一羽一羽は小さく、色もフラミンゴほど派手ではない、けれど「群生するがゆえに一瞬で消え去る」朱鷺の運命です。宮中の喧騒を離れ、この小野の地で彼女が見つめたのは、かつてはスズメのように身近でありながら、今は滅びゆくものとして語られる「はねず色」の羽ばたきでした。小野梅園と「はねず」随心院の境内に広がる梅園は、単に花を愛でる場所ではありません。吉松隆が『朱鷺によせる哀歌』の旋律に刻んだような、繊細で、しかし逃れようのない「色彩の暴力」とも言える圧倒的な情景を、現代に繋ぎ止めるための聖域です。約200本の梅が一斉に咲き誇る姿は、かつて空を「パタパタ」と埋め尽くした朱鷺の群れを地上に呼び戻した、いわば「記憶の再現」なのです。随心院(ずいしんいん)小野一族の氏寺であるこの場所は、小町という一人の女性の「滅びの美学」と、かつての日本の空の色を保管するタイムカプセルです。現代の私たちがカラスの知恵を競い合う日常から離れ、ただ淡い「はねず色」の群れに包まれるとき、はじめて小町がこの地に託した真実の孤独と誇りに触れることができます。ーーーーー「はねず色」――空を埋め尽くした滅びゆく鳥の記憶「はねず(朱華)」とは、単なる色彩の名ではなく、かつて日本の空を「うなるほど」埋め尽くしていた朱鷺(トキ)の群れが見せた、幻の光景のことです。パタパタパタパタと飛ぶ朱鷺が、何千羽もそこにいたのです。それは、鶴のような神格化された長寿の象徴でも、シギやサギのような孤高の姿でもありません。ましてや、カラスのように知恵を絞り、人間と張り合って生き抜く「個」の強さとも無縁です。一羽一羽は大きくもなく、色もフラミンゴほど派手ではない「普通の鳥」。しかし、そのありふれた鳥たちが一斉に羽ばたき、空を覆い尽くしたとき、世界は淡い薄紅色に染まりました。吉松隆がその旋律に刻んだように、それはあまりにも繊細で、しかし逃れようのない「色彩の暴力」とも言える圧倒的な情景でした。小野小町がこの色に己を重ねたのは、その美しさが「群生するがゆえに、一瞬で消え去る」運命にあると知っていたからです。かつてはスズメのように身近でありながら、今は滅びゆくものとして、鳥獣保護法で守られなければ出会えない存在となった朱鷺の影。随心院の「小野梅園」とは、木々に咲く花を愛でる場所ではありません。いまはそれほどいない、けれど千年の昔から変わらずここに降りてくる朱鷺たちが、その「はねず色」の記憶を地上に再現するための聖域なのです。ーーーーー朱鷺に誘われてやってくる者たち時を超えて迷い込む「小野小町」千年前、この地で自分の老いと向き合い、散りゆく花を眺めていた彼女自身。幻想の朱鷺が空を舞うとき、彼女は「花の色は移りにけりな」と詠んだあの瞬間のまま、ふと梅の枝の間に立ち止まっているかもしれません。音を紡ぐ「吉松 隆」の精神朱鷺の哀歌を五線譜に刻んだ、あの慶應工学部出身の作曲家も、現実の理論を超えた「純粋な美」として、この梅園の空気に溶け込んでいるはずです。でも、流れてきたのは、田部京子さんが弾かれた「プレイアデス舞曲集」が…そして、わたしを入れてください。出水の鶴の大きさを知り、カラスの賢さを知り、鳥獣保護法という現代の現実を噛み締めながら、それでも「はねず色」という幻を追い求めてやってくるあなたです。ーーーーー思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ夢と知りせば 覚めざらましをいとまあらば 拾ひてだにも ゆかましをわが身も今は 海士(あま)のさもこそ花の色は 移りにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに。