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名前 |
高尾山金助墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
高尾山金助(たかおやまきんすけ)という明治時代の関取のお墓です。江戸時代後期から明治時代にかけて、久井稲荷神社などの祭礼行事にあわせて相撲が盛んにおこなわれていたそうです。金助は近郷一の相撲取りと称賛されていたそうです。夜相撲で、寄る年波に勝てず、御調河内(みつぎこうち)の「杉稲」という力士に敗れて、ついに起き上がることができず死亡したとのことです。金助の健闘を後世に残すために墓を作ったとのことです。正面に「頭取 高尾山金助墓」、右側面に「明治廿一年十月十日」、左側面下部に「杭和草村住 石工田口助五郎作」と刻まれています。高さは約 2.0m、幅は約 0.7m、厚さは約 0.7m です。道路から離れた山の中にあり見えないため、簡単には見つけることができません。久井図書館の図書館員の方の資料提供や調査協力、地元住民の方の情報提供で最終的に場所を特定することができました。ありがとございました。