国宝薬師堂で心安らぐひととき。
醍醐寺薬師堂の特徴
醍醐天皇の勅願で創建された国宝の薬師堂です。
鎌倉時代に再建された美しい入母屋造りの建物です。
薬師堂内には宝薬師三尊像が安置されています。
薬師堂(国宝) - 醍醐天皇の勅願により、聖宝が延喜13年(913年)に天皇の御願堂として創建する。現存の堂は保安2年(1121年)の建立。入母屋造、檜皮葺き。正面5間、側面4間。側面の柱間4間のうち、中央の2間が狭く、前寄りと後寄りの各1間が広いのは珍しい。内部には薬師三尊像(国宝)、閻魔天像、帝釈天像、千手観音像(以上は重要文化財)などを安置していたが、現在は全て下醍醐の霊宝館に移されている。
国宝の薬師堂です。工事の足場が取り除かれました。
理源大師は上醍醐を開いて薬師如来を作って、最初に薬師堂ができたといわれています。残念ながら上醍醐は昭和十四年に山火事がありました。幸い仏像は運び出され、平安時代中期の仏像が残りました。さらにその奥に准テイ堂を造て、七准胆仏母(七千万の仏を生み出す仏の母)を安置しました。これがかつての上醍醐の本堂でした。しかし、残念なことに平成二〇年八月に焼失し、跡地だけが残っています。 その次に五大力明王をまつった五大堂を造りました。この建物は新しい建物です。一月二十五日の五大力さんのお祭には、たいへんな数の人が登ります。五大力というところから力くらべもありまして、何十キロというお餅を、一定のところから歩いてもっていくと賞品がもらえるそうです。このときは柴灯護摩が焚かれたりして、たいへんにぎやかな雰囲気があります。 准胝観音と如意輪観音の彫刻が終わりまと、准胝観音はみずから立って内陣に入っていかれ、如意輪観音も准テイ堂に安置し奉ると、こちらは歩いて外に出ていかれたといいます。そして、「自ら東の峰に登り、石山に御座するの間、苔を毟り、堂を建て崇重の余、昼夜不行絶えること無し。示して如意輪尊師に語っていう。此の山は補陀落山也。則ち此の道場は彼の補陀落山の中心、金剛宝葉石有り。我れ此の上に坐して、十方世界の衆生の苦楽を観照す。昼夜常に抜苦与楽す。」 つまり如意輪観音さんは、金剛宝葉石という石の上に立ってしまったのです。そこで覆屋を掛けることにしました。これが開山堂のすぐ下にある如意輪堂です。准砥観音さんと同居するのが嫌だというので出たわけではありません。 お水取りで有名な東大寺の二月堂の十一面観音も岩盤の上に立っていて、内陣・外陣の覆屋を建てています。長谷寺の十一面観音も岩盤の上に立っています。床の上から拝みますと、お足元が岩に入っているものですからお姿の下の部分が見えません。そういうふうに立つのが山岳寺院の本尊のあり方です。 最初は修行者が自分の釘本尊をもって山に登ってきて、適当な岩があると本尊さんを置いて拝みました。のちになると、笈そのものを置いて、それが厨子になったり、もう一つ大きなお堂が建ったりするようになります。はじめは囲いもなくただ据えたということもありました。准胝堂から歩いて出ていかれて、岩の上に座つたと書いてあるのは、如意輪観音がもともと岩の上に据えられた仏様だったと解釈して、何ら差し支えがないのです。 縁起は、そういうふうに読むべきものです。縁起に書いてあることについて、「本尊さんが歩くびんて」「本尊さんがしゃべるなんて」といってしまったらそれまでです。じつは、荒唐無稽な縁起・伝承の物語のなかに、山岳宗教・庶民信仰の実態がひそんでいるのです。
南武災害救援燕首薬剤師仏(原文)南無消災延壽藥師佛。
ナモの不幸ライフエクステンション薬師如来(原文)南無消災延壽藥師佛
2018-01-28中の様子を伺う事ができます。この日は吹雪いてたので、対面の風景が見れませんでした。この醍醐山を東へ抜けると、滋賀県に行きます。が、今回は吹雪いてきたのもあり、元来た道を引き返しました。噂通り、難所の一つでした。しんどい思いもししたが、キリっと引き締った空気、小鳥のさえずり、吹雪が木々は葉にあたる音、霜がおりた箇所を踏みしめる足音等々を見聞きする事が出来、良い時間を過ごせました。醍醐水を飲めなかったのが残念でした。醍醐水のお堂から上がると准胝堂跡があります。今は更地になっていました。更に坂を登ると薬師堂があり、その先には鐘楼・休憩所があります。鐘楼を左に進むと五大堂、右へ進むと頂上になり、如意輪堂・白山大権現・開山堂・上醍醐陵があります。鳥居を降りていくと『東の覗き』『奥の院』へ向います。奥の院へは細い木の鳥居が目印です。脇道がルートにも見えるので、鳥居をくぐる道を選んでください。
平成12年に現在霊宝館に安置されている薬師三尊像が、まだこちらに安置されている頃、内拝させていただいた事があります。あの時、堂内の写真を撮っても良いという事でしたがカメラを持っていませんでした。
南無消災延壽藥師佛
下醍醐の女人堂で入山料600円(下醍醐の拝観券購入の場合は500円)を支払 いよいよ覚悟を決め 登山の開始です 女人堂の標高は約70mで 薬師堂は約415m高低差345m 道のり約2.2km余りを休憩を含め約1時間15分で 登り切りました女人堂から暫く進むと 上醍醐の堂宇が見え始める少し手前までは 足元の悪い階段がずっと続き しかも勾配がキック 足腰の弱い私には 行程の90%は まるで苦行をしている様でしたさて薬師堂は 平安時代の913年に 醍醐天皇の命により創建され 現在の建物は鎌倉時代の1211年に再建されたモノで 現在に至るまでには 幾度かの修理がなされていますが 上醍醐では最も古い堂宇との事です堂内には 以前には 御本尊の国宝薬師三尊像や重文の閻魔天像 帝釈天像 千手観音像が 安置されていましたが 防火防犯等を考慮し 下醍醐の霊宝館に保管されているトノ事です尚 現在の御本尊は 2012年に作像された宝薬師三尊像が安置されているソウです石積された段の上に 南を向き建てられた入母屋造りで 檜皮葺の薬師堂は 美しく拝礼後に振り向けば 山並が 美しくでも 帰りの道中を思えば また苦行でぇ❗今日はホントに頑張ったんだから ただただ御利益の有る事を 願うばかりです❗
名前 |
醍醐寺薬師堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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醍醐水と、奥の開山堂の間に、ポツンとあります。国宝です。