歴史を感じる古墳探訪。
椿井大塚山古墳の特徴
くびれ部を横切る奈良線が特徴的な大きな古墳です。
偶然見つかった石棺が歴史的発見に繋がる古墳です。
住宅地の奥にあり、静かな環境が魅力のスポットです。
貴重な古墳に触れることができます。円墳部分の頂上は見晴らしの良い開けた場所になってます。休日でもほとんど人は訪れないようです。駐車については田舎なので行けばなんとかなる感じです。
奈良線が前方後円墳のくびれ部を横切っています。線路際に円墳に登る道が閉鎖されていますので、原則許可無く登ってはいけないようです。奈良線の撮り鉄を抑制されているかもしれません。
JRの線路に分断されてしまってますが大きな古墳。鏡も沢山発掘されたようです。山城らしく筍が生えていたのが楽しい。
教科書で出てくる前方後円墳だそうです。民家、鉄道により見事に分断されていて、その形状を確認することは不可能です。円墳の頂上にはアクセス出来ますが原則徒歩です。住宅の隙間の路地を通って向かいます。全く古墳散策とは思えないルートです。ただ出土品は結構重要な物が多かったようで、邪馬台国は奈良なのか福岡なのかの議論に絡むほどの価値だそうです。自動車では難しいです。仮駐車場はありますが、道幅は狭いです。
行く道も狭く規模も期待したほどでなかつた。
地元の人にもあまり認知されていないのか、行き方を尋ねても良くは知らないとのことで、行き先板を見てたどり着きました。眼下に広がる瓦屋根の風景が最高です。
前方後円墳の中を鉄道が通っているし、方墳の所は家が何軒も建っていて全体の形はよく分かりません。円墳部分は山の斜面を利用して作られているので気づかなかったのでしょう。国の史跡なんですからもう少し整備しても良いと思いました。
▪️誰もが知っている古墳にも拘らず~京奈の端境にある為、またそのうちにと行きそびれてしまう存在の古墳です。同じ山城の地であっても、加茂三塔巡りならばJR加茂駅や奈良駅からのアクセスも簡単・良好で効率的なのですが。▪️地元のご夫婦にお伺いすると~散策には除草処理を終えた11月以降がヘビの出現もなく最適だそうです。あえて冬を待たずとも、晩秋ならば安心して訪れることが可能です。▪️墳丘を割ってJR奈良線の列車が比較的短い間隔で通過するため、気がつけばにわか撮り鉄になっていました。▪️アクセスJR奈良線/上狛駅下車、途中まで線路に沿いつつ踏切を二度渡り徒歩20~25分。尚、踏切を渡らず幹線道路から大廻りにアクセスする経路もあります。無人化駅でタクシーの常駐機能等もありません。
偶然見つかった石棺で歴史的な発見へと繋がった古墳です。山を削って築かれた初期の前方後円墳で箸墓古墳を真似た形状ですが水を湛えた堀は無かったとされています。三角縁神獣鏡・内行花文鏡・方格規矩鏡・画文帯神獣鏡などの鏡類や武器、武具、農耕具、漁具などが見つかり、30枚以上と大量の三角縁神獣鏡や水運の要であった泉川(木津川)を管理下に出来る地域や軍事的な要所である事からも大和朝廷成立時の重要人物で有るとも考えられています。山背古道の観光スポットとして整備されていますので石室が見つかった後円部に上がることが出来ます。円墳部の1段目は堀に見える地中に埋もれているので実際よりも小さく見えます。
名前 |
椿井大塚山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,28705,36,420,html |
評価 |
3.7 |
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椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)は、前方後円墳で国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に、石室天井石は木津川市指定有形文化財に指定されています。古墳は3世紀中頃の古墳時代初期に築造されたと考えられています。破壊が進んでおり、本来の正確な規模は不明です。後円部はJR奈良線によって分断されています。墳丘は全長約175m、後円部は直径約110m、高さ20mです。前方部は長さ約80m、高さ約10mと推定されています。墳丘の大部分は自然の山を利用しています。埋葬施設は、南北長6.9m、幅1m、高さ3mの竪穴式石室に板石・割石を積んで壁を立ち上げ、天井も板石を置き粘土で厚く覆っています。床には板石・礫・砂を敷き、その上に粘土を施し、長大なコウヤマキの割竹形木棺を安置しています。石室内には朱が塗られ、粘土床には10キログラムを超える水銀朱がまかれていました。昭和28年(1953)、国鉄奈良線の拡幅工事の際に竪穴式石室が偶然発見され、当時最多の三角縁神獣鏡32面が出土しました。それ以外には三角縁神獣鏡より少し古い内行花文鏡2面、方格規矩鏡1面、画文帯神獣鏡1面が出土し、総計36面以上の鏡と武具が出土しました。また、日本最古の刀子も出土しています。