大柳生で出会う素盞嗚命の神社。
夜支布山口神社の特徴
柳生街道沿い、大柳生地区に鎮座する神社です。
春日造りの本殿は雰囲気があり、大切にされています。
大きなヒノキがあり、趣ある神社の風情を感じられます。
2026.3.下旬【柳生街道めぐり 2】円成寺 &忍辱山バス停(標高約370m)↝夜支布山口神社(標高約300m;大柳生町)↝南明寺(標高約248m;阪原町)↝かえりばさ峠(坂原峠;標高約365m)↝疱瘡地蔵(柳生町)↝旧柳生藩家老屋敷↝十兵衛食堂;柳生バス停(標高約243m)の行程でハイキングしました。忍辱山バス停(円成寺付近)をスタートし柳生街道を行くとどんどん下っていきます!もう少しなだらかな道と想像していたのに!?この辺りは地形的に大和高原 北西の端っこにあたりかなり侵食されているようです。山口神社は高木に囲まれた小高い所で、静かで落ち着けます。大柳生町を見守る歴史のある神社です。お参りして柳生街道を進みます。大柳生町と坂原町は縦長の平地でほとんど繋がっています。綺麗な田園風景を見ながらなだらかな柳生街道を歩けます。南明寺でトイレを借り(近くにおふじの井戸があります)、やがて白砂川が蛇行し V 字に突き出たところを過ぎると、三叉路があり峠越えの入り口です。おふじが柳生宗矩の元へ嫁ぐ際、坂原の里から柳生の里へ向かう途中かえりばさ峠(坂原峠)で、おふじが別れを惜しみ母親が見送ったとの逸話があります。急な坂道で柳生街道らしい石畳の道が続きます。柳生八坂神社は柳生の里を見守る歴史ある神社です。旧柳生藩家老屋敷の拝観(¥350-)は時間がないと思っていたのでパスし、柳生バス停前にある十兵衛食堂へ。なんと準備中の札が!他に飲食できる所も土産物店もコンビニも見あたらず、バス停で1時間以上待つことに↷…。自販機だけはあります。今日出会ったハイカーは1人だけ…!最終バス(¥1110-)は私1人だけ、奈良公園で外人2人乗車。近鉄奈良駅から帰路へ。柳生の名前は有名なのに…↷。“静けさや 剣で栄えし 柳生里”江戸時代柳生家は徳川将軍家剣術指南役(柳生新陰流)を努めており、柳生の里はあまたの剣豪が集う武道の聖地として栄えた模様。現在は山間部ののどかな田園風景が広がります。(所要時間約4時間、距離約9km)【補足】ハイキング計画を立てる際、奈良駅から柳生への 行き•帰りのバスは 5本•6本/1日(土日祝日)& 7本/1日(平日)のみで時間変則で要確認です。また十兵衛食堂の営業時間の確認は必要です。奈良市ホームページの柳生街道散策ガイドブックから「滝坂の道」「剣豪の道」「柳生•笠置の道」の地図をプリントアウトする。地図には道中 分岐点等にある道標(道案内)の位置が記されているので、ほとんど迷うことなく歩けます。(補足••惜しむらくは 道標杭に番号が振ってあり、地図と照合出来れば より安心して歩けます。例:京都一周トレイル 道標杭)
夜伎布山口神社(やきふやまぐちじんじゃ)。奈良県奈良市大柳生町。式内社(大)、旧県社。【祭神】素盞嗚命<摂社>式内社(小)天乃石吸神社論社 大和国 添上郡鎮座 立磐神社(たていわじんじゃ) 祭神:天手力男命資料によると、独立の小山の麓に鎮座する。もと南方600mに在る上出の聚落に鎮座していたのを、中世に至つて立磐神社の鎭座する標高約300mの境内に安置したと云う。立磐神社は延喜・神名帳にその名をとどめる「天乃石吸神社」に比定される巨大な陽石を神体とする。柳生町山脇に存在する式内社「天乃石立神社」とともに巨石信仰を物語る。『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと思われます。祭神も多くの山口神社の例よりみて、本来は大山祇命を祭祀したとすべきであろう。現在の鎭座の地は、山口に該当するとは考えられず、古老の口伝の如く上出の聚落に鎭座し、その後巨石信仰のあつた立磐神社の境内に移建し、式内社としての祭祀を今に伝えたとすべきであろう。現在の当社の御祭神は「素盞嗚命」ですが、近世以前には牛頭天王を祀っており、明治の廃仏毀釈により仏教色の強い神である牛頭天王に代わって素盞嗚命を祀ったものでしょう。しかし本来の神は他の「○○山口(坐)神社」と同様に「大山祇神」だったと思われ、『神名帳考証』などいくつかの資料は大山祇神を祀るとしています。<摂社>立磐神社夜支布山口神社の境内摂社で、式内社「天乃石吸神社」の論社の一つです。御祭神は「天手力男命」。上述の通り当地は元々は当社の社地であり、中世に夜支布山口神社が当地へ遷座したことに伴い夜支布山口神社の境内社となったようです。創建・由緒は詳らかでありませんが、当社の社殿の背後に巨石があり、これを磐座として祭祀したのが当社であると考えられます。とあります。
夜支布山口神社(やきふやまぐちじんじゃ)の創建年代は不明です。祭神は素盞嗚命ですが山口神(大山祇命)とする説もあります。 『延喜式神名帳』には、大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が記載されています。その山口神を祀る神社の一つで、養生=夜支布との意味です。宮殿造営のため御料林伐採の際に、山口に坐す神を祀り、さらに、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されました。一説には、往古、当社の南方600mの集落に鎮座していたが、中世になって立磐神社の境内に遷座したと伝えられています。通称、神野宮(こうのみや)と呼ばれる神社で、柳生町の総社です。社殿は、享保12年(1727)建立の春日大社第四殿です。春日大社から延享の御造替の時に本殿は当社へ移譲されたもので国の重要文化財に指定されています。春日大社の本殿は近づいて見ることができないですが、ここで目の前で拝観できます。社殿の後方に、2~3mの巨石が立っています。このため社名は立磐神社ですが、式内・天乃石吸神社に比定する説があります。
ハイキングを兼ねてフラフラと柳生の里にやってきた。この神社が柳生一族の氏神だって、ふ〜〜〜ん、写真をパチリで説明文を文字起こししてみた↓夜支布山口神社Yasyu Yamaguchi Jinja Shrine大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内 にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年) に移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の 分霊をむかえる「回り明神」と言う、珍しい行事が伝わっており、700 年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。
午後からお招き頂きました。その加減もあり街道は少し薄暗く参道を兼ねている石段から静謐で神秘的な雰囲気が醸し出されていて気が引き締まりました。この季節に色づくモミジがあり境内は少し和みもありますが鳥居から見える立派な拝殿が迎えてくれます。地元の氏神だと思います、神事の際には拝殿に集まるのでしょう、とても綺麗に整えられていて神聖な場であることを認識させられます。境内に多くの摂社があり、その中でも立磐神社はひと際目を引きます。この地域も春日移しで、本殿は奈良春日大社本殿を300年近く前に移築したもので春日造の立派で優雅な千木が目を引きます。古い石造りの鳥居から眺めると背後の木々や山が御本尊で、祭神は素盞嗚尊で根の国、実際には大山津見神が元は祀られていて奈良吉野から続く木を扱う地元の神を祀られているのではと思いました。延期式内神社でもあり古の時からの信仰がある素敵な神社です。静謐に包まれた少し神秘的な雰囲気も良いと思います。なお駐車場は無いです。路駐するしか無いですが農作業の方々に迷惑にならないよう注意です。
やぎゅうの神社です。地元の人に聞いて場所、分かりました。
なんて読むのか最初は分かりませんでした。とても静かな感じがする神社です。
夜支布山口(やしゅうやまぐち)神社主祭神 素盞嗚命(スサノオノミコト)摂末社祓戸神社戸隠神社靖国神社八幡神社春日神社白山神社・宗像神社御年神社・津島神社夜支布山口神社は柳生街道沿いの大柳生地区にある神社です。神社はその創建年代は不詳ですが、大柳生地区の氏神様として延喜式に既に記されています。神社の案内から抜粋大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内 にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年) に移したものです。 この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の 分霊をむかえる「回り明神」 と言う、 珍しい行事が伝わっており、 700 年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。駐車場は特にありませんが、階段下の柳生街道沿いに路駐すればいいと思います。参道から赤い鳥居を潜って入る道もあります。山口神社は各地にありますが、都の用材を採取するための山の入口にあることが多く格の高い神社だと思います。
柳生へと続く東海自然歩道の途上で出会す神社。麓の公民所では地域のご老人が花見をされているなど、周囲はのどかな感じです。こちらの神社内にも集会所があり、地域と密接なお社のようです。整備も行き届いている感じです。
| 名前 |
夜支布山口神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0742-93-0112 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5691 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
In ancient Nara (Yamato Province), this was one of 15 prestigious Yamaguchi Shrines, built at the entrance to mountains to protect "timber" and "water," which were important resources for the state. It is the same Yamaguchi Shrine as the Hase Yamaguchi Shrine near Hase-dera Temple. The shrine building of the subsidiary shrine, Tateiwa Shrine, was relocated from Kasuga Taisha Shrine and is a designated Important Cultural Property. It is said that when ancient emperors cut down trees to build new palaces or large capitals, they prayed to the mountain gods for their permission. Truly, it embodies the myriad gods.古代の奈良(大和国)において、国家の重要な資源である「木材」と「水」を守るために、山の入り口に建てられた格式の高い式内社の15の山口神社の1つ。長谷寺の近くの長谷山口神社と同じ山口神社。摂社の立磐神社の社殿は春日大社から移築したもので重要文化財。古代の天皇が新しい宮殿や大きな都を建てるとき、木を切り出すに当たり、山の神のお許しを願ったものという。まさに八百万の神。昔はこれが地名で、今の柳生となる。