清雲寺訪問後は三浦大介へ!
三浦氏三代の廟所(三浦為通・為継・義継の墓)の特徴
三浦氏の歴史を知ることができる静かな廟所です。
後三年の役で名を馳せた三浦為継の逸話が残っています。
衣笠城で討ち死にした三浦大介義明の伝説があります。
三浦氏と云えば、源頼朝公の挙兵に呼応して居城である衣笠城で討ち死にしたと云われる四代目「三浦大介義明」が有名ですが、源義家の軍に従い「後三年の役」で活躍した「三浦為継」も有名で「鎌倉景政」の顔に刺さった矢を抜く話で登場する人物です。この清雲寺は、「三浦為継」の息子である三代「三浦義継」を開基とし、父為継の菩提を弔うために創建されたと伝わっております。その後、「鎌倉景政」は大庭御厨を開発し大庭氏の祖となり、四代目の三浦義明は衣笠合戦で、その子孫の大庭景親に攻められて自刃に追い込まれることとなります。しかし、源頼朝公の挙兵に従って戦った五代目の「三浦 義澄」により領地を奪われた大庭氏は衰退していきます。こうして鎌倉幕府の重要御家人となった三浦氏も、その後、宝治合戦により嫡流を滅ぼされ、また、残された傍流も後北条(伊勢 宗瑞)に滅ぼされます。それでも、三浦の地から別の地に移り棲んだ三浦一党の子孫が芦名氏や佐原氏と名を変えて続いています。そんな事を考えながら、「三浦三代の墓」を拝んでいると、その強さに圧倒されてしまいます。鎌倉時代の御家人は、移り棲んだ場所を姓として名乗るので、誰が親類なのか良く分からなくなりますが、三浦一族を見ると、親類よりも領地なんだなぁと良く分かります。特に、和田氏と三浦氏の関係を見ると、地は血より薄いんだなぁと感じます。
| 名前 |
三浦氏三代の廟所(三浦為通・為継・義継の墓) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
清雲寺を訪問した際は是非お立ち寄りください。三浦氏の初代から三代までの五輪塔が三基並べられています。皆源氏に仕え、三浦氏の基盤を構築しました。