明治の伝統、馬堀の校舎。
陸軍重砲兵学校跡の特徴
明治30年に移転した歴史ある跡地です。
学校跡地には説明版が掲示されています。
かつての木造校舎は廊下が広かったです。
ここは我が小学校、今は校舎は建て替えられてしまいましたが、私が卒業するまでは木造校舎で廊下は教室よりも広かったです。陸軍の学校だったから廊下に整列する必要があったと聞いてます。当然ストーブは石炭くべました。当時の面影を忍ぶ物は何にも無くなりました。
| 名前 |
陸軍重砲兵学校跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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明治30年、観音崎砲台に近い神奈川県三浦郡浦賀町馬堀の新校舎に移転、明治41年陸軍重砲兵射撃学校と改称、さらに大正11年陸軍重砲兵学校と改称した、内容は射撃戦術、射撃術、砲塔術、観測術、通信術、要塞電灯術など多岐にわたったが、その跡地が色々な変遷を経て現馬堀中学校と馬堀小学校になっていて入り口付近に説明版が掲げられている。