歴史感じる かたらいやまへの旅。
談山(多武峰)の特徴
乙巳の変の密談が行われた神聖な場所です。
歴史を感じる十三重塔の発祥地として知られています。
美しい紅葉が楽しめる多武峰の自然環境が魅力です。
夏に行くと毛虫いるから注意。上からぶら下がって垂れてくるやつ。
歴史が動いた場所歴史を感じに行って来ました山の中に少し開けた場所があるだけで、特に何かがあるわけではないですが。少し山道を歩くので滑り難い歩き易い靴がお勧めです。
鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥です。天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号しました。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号しました。談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされています。平安時代には藤原高光が出家後に入山、増賀上人を招聘するなど、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げました。鎌倉時代には曹洞宗本山永平寺の二世、孤雲懐奘(大和尚)が参学しました。一方、平安時代に天台僧・増賀を迎えたことから、同じ大和国の藤原氏縁の寺院でありながら、宗派の違う興福寺とは争いが絶えず、鎌倉時代から室町時代にかけて度々領地などを巡り争論を繰り広げました。これにより、多武峯妙楽寺側の十市氏、越智氏は興福寺側の楢原氏、布施氏、北隅氏らの軍勢と小競り合いを繰り返していました。天仁2年(1108年)には浄土院、食堂、経蔵、惣社、大温室、多宝塔、灌頂堂、五大堂、浄土堂に加え、近くの鹿路の村々が悉く焼かれました。特に十三重塔が承安3年(1173年)に興福寺衆徒勢の焼き討ちで消失し、文治元年(1185年)に再興されています。なお、現在の十三重塔は享禄5年(1532年)に再建されたもので、木造の十三重塔としては世界で唯一現存するものです。
石碑のある場所まで登っていくのが少ししんどいけど、乙巳の変の密談をこの場所でしたと思うと感激です。
神社から10分かからないくらい。木と土の階段道。多少道が濡れていても問題ありません。小さいピークにあります。視界はありません。
談山神社より10分位ですが階段を登るのが少しきついです。
神聖な場所でした。
紅葉がとてもきれい!
かたらいやま。中大兄皇子と中臣鎌足が謀議を行った山。展望台がある。木々で遮られ見通しは良くないが大和三山が見える。
名前 |
談山(多武峰) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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大化の改新って 此処で始まったんですネ~ 凄い処でしたんですネ~ また、寄らせて頂きたい者です。🍀🍀🍀