加夜奈留美命の古代信仰。
加夜奈留美命神社の特徴
柏森に位置する加夜奈留美命神社は、由緒ある神社です。
飛鳥川の源流に流れる川の支流が合流する美しい場所。
日本画家・富岡鉄斎が造営した歴史的な神社です。
雨上がりの霞んだ冬の朝でした。檜皮葺きの苔に留まった雨粒が、綺麗でした。祭事を詠んだ旧い歌に「神主の髪飾りに心惹かれる」とあり、女性が祭り事を行なっていた時代のものだとわかります。良いです。
当社周辺道幅狭く、生活道路のため車、バイク等は東側もしくは南側の道路膨らみに停車のち、少し歩かれたほうがベターかと思います。長閑な田園丘陵地帯に鎮まれますお社。加夜奈留美命神社。この社名に興味をもたれる方、少なくないと感じます。高照姫、下照姫と親しまれた方、お三方おられるといいます。①ワカ姫ヒルコさん。アマテル神のお姉さんで阿智の神こと、オモイカネ・アチヒコさんの奥さん。西宮戎神社、越木岩神社、生田神社、玉津島神社、丹生都比売神社、葛木御歳神社等の主祭神。初代高照姫であり、初代下照姫。②佐太の高姫こと、タカ姫タカコさん。オホナムチ・クシキネさんと竹生神こと、宗像三姫タキリ姫タケコさんのお嬢さんであり、兄に第二代大物主で初代事代主のヲコヌシ・クシヒコさん、弟に迦毛大御神タカヒコネさんを持つというスーパー家系に育ちます。夫に天稚彦さん。父オホナムチさんは、娘タカコをヒルコさんに奉り、仕えさせます。押草のまじない、琴、その他奥義を学び、ヒルコさんの後継者として二代目高照姫を襲名。③大倉姫こと、オクラ姫/アユミテル姫。父は美濃の国守、天津国玉さん。兄に天稚彦さん。夫は、アチスキタカヒコネさん。父のクニタマさんにより、オクラ姫はヒルコさんに奉られ、ヒルコさんの元で和歌の極意を習得したといいます。ヒルコさんに認められ、オクラ姫は二代目下照姫を襲名。某神賀詞(かむよごと)に「賀夜奈流美乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命・・・」とあります。アマテル・ウヒルギ・ワカヒト神と根国、サホコチタル国の代官を務めたクラキネさんのお嬢さんでアマテル神十二の后のお一人コマス姫ハヤコさんとの間に生まれた宗像三姫。その三つ子のお一人が多紀理姫タケコさん。タケコさんのお嬢さんが②タカ姫タカコさん。天皇の孫=タカコさん=賀夜奈流美さんということになるのかもしれません。シタテル姫→初代ヒルコさん→二代オクラ姫タカテル姫→初代ヒルコさん→二代タカコさん=加夜奈留美さん?また境内の空気を感じたくなりました。#加夜奈留美命。
天岩戸神社と同じく、神殿はなく、礼拝所だけの古代信仰の様式の神社。
柏森(かやのもり)の地名は、この神社に祀られる加夜奈留美(かやなるみ)命に由来するものだろうか?狛犬の吽像さん、子狛さんを連れています♪お散歩中のおばあちゃんに挨拶すると、御祭神について教えてくれました。『ここの神様は、因幡の白兎の主役の神様と、下の神社(飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社)の神様との間の娘』とのこと。つまり『大穴牟遲と宇須多岐比売との間の娘』と伝わるそうです。的確に教えてくださったこと、感謝です。(令和元年5月に参拝)
加夜奈留美命神社は由緒ある神社の様だ。邪馬台国時代の後?奈良盆地に勢力を構えてた豪族達は、物部氏、大神氏、鴨氏達だろう。正に出雲系の豪族達である。それに見合った様に出雲系の神様がおられる。加夜奈留美命神社、三輪神社、高鴨神社、川俣神社等バランスよく配置されている。それは皇室の守り神でもあると言うのだけど・・・
この地で飛鳥川の源流から流れてきた川の支流が合流し、飛鳥の地へと流れていく。水の神を祀る神社。下流に下ると飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社がある。この神社も水の神を祀っている。
日本画家・富岡鉄斎が石上神宮の神官時代に造営。御祭神は下照姫。地元では滝本神社の方が通じやすい。奥明日香、大字・柏森(かやのもり)の中心にあり、龍福寺の隣。車で行く人は神社前には駐車スペースがないので注意。イクメン狛犬がいる。(検索:ものづくりとことだまの国、2019年8月19日)
この神社の周辺の部落は大変趣があり心癒されます。また、住民の方々も大変親切で気持ちがよいです。
何故か明治天皇遥拝所がありました。狛犬もちょっと変わっていて、気になる神社です。
| 名前 |
加夜奈留美命神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34132 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
加夜奈留美命神社(かやなるみのみことじんじゃ)。奈良県高市郡明日香村。式内社(小)、旧社格は村社。主祭神:加夜奈留美命(=高照姫命=下照姫命)。下照比売(シタテルヒメ)は大国主神の娘。資料によると、創祀年代は不詳。 『出雲國造神賀詞』に、「賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神登貢置天」飛鳥の神奈備に坐て、皇孫を守護した神。天長六年(829)、飛鳥神奈備が、鳥形山に移り飛鳥坐神社となっても、その本霊は、当地に残ったと考えられている。江戸時代には葛神と呼ばれていたが、「大和志」が式内社にあて、以後式内社として現社名で呼ばれる。飛鳥から小原・東山を経て多武峯に登る小道の側にある天神社跡が、当社の古社地という説もあるらしい。境内末社の九頭神社(葛神社)は式内社・瀧本神社の候補だが、本殿瑞垣の左右に祠があり、どれがどれかは分からなかった。資料によると境内社は、八幡社と葛神社らしい。とあります。