入れる特別史跡、切石の美しさ。
文殊院西古墳の特徴
古墳時代終末期を代表する国特別史跡の魅力が満載です。
飛鳥時代に建立され、石材の加工技術が際立っています。
特異な横穴式石室の美しさが訪問者を惹きつけます。
石の加工技術の高さがうかがわれます。これはすごいわ。
本堂横にポッカリと入口が開いています。石室内にも入る事ができます。切り石の見事な事と言ったら。ここと艸墓は見て絶対に損はない古墳です。
◽アクセス近鉄大阪線・JR万葉まほろば線桜井駅:徒歩25分レンタサイクル(¥900)18分奈良交通バス (北口/南口)「安倍文殊院」へのピンポイント訪問なら「マイカー」がベターです。殆ど登り坂が続く行程なので。◽①切石 (石室) ②(両袖式) 横穴式石室③丘陵突端(裾) ④南面開口のワードが並ぶ「終末期古墳」を代表する古墳の一つです。◽散策コース①メスリ山古墳 ②コロコロ山古墳③谷首古墳 ④安倍史跡公園⑤安倍文殊院 (文殊院西・東古墳)⑥艸墓古墳 ⑦安倍山城跡⑧土舞台。
日本三文殊のひとつ安倍文殊院の境内にある古墳時代終末期を代表する切石つくりの国特別史跡指定の古墳です「さくらい100選」には安倍文殊院として選ばれています。墳形は円墳又は方墳で本来は30m前後の墳丘規模と思われます。石室は両袖式横穴式(全長12.4m)で南に開口しています。長方形の切石(花崗岩製)を横積みし上の石の目地が下石の中央に来るように均等に割付られ天井石は1石で羨道部は板石を4枚並べ天井石は3枚構造です。終末期古墳の頂点に立つ技術は石材と石材の隙間がない事でもわかり予備知識なしでこの中に入ると古墳だと判らないほど洗練された精美な古墳です。玄室長は5.1m、幅2.9m、高さ2.7mで羨道長は7.3m、幅2.3m、高さ1.8mで早くから開口していたようで棺や出土遺物は知られていません。築造年代は石室の構造からみて古墳時代の終末期にあたる7世紀中頃と推定されており被葬者は当時この地の有力者であった阿倍倉梯麻呂の墓説が有力です。
花岡岩石を入念に加工し側壁も弓状態として壁面を調整、左右の石の数も揃え対称に仕上げて有ります。殊に玄室の天井石は一枚岩で約15㎡もありその巨大さに唖然とするばかりです。しかも天井の中央部分を薄く削り上げ窮隆状とし天井の全体面をアーチ型に仕上げている手法は心憎いばかりである。これらの点で築造技術における古墳内部の美しさは日本一の様です。この古墳は当山を創健した大化の改新の左大臣 阿倍倉梯麿公の墓と伝えられている。
バイクで文殊院に来たついでにお参り。中はヒンヤリしていて、他に誰も居てなかったのもあり『ゾクッ』としました(; ・`д・´) なんか出てきそう....入口のとこが少し天井が低くて、ちょっと屈まないとダメですね。かなり歴史ある古墳みたいなので、文殊院来たら中入ってみましょうねヾ(≧▽≦)ノ
令和2年2月11日参拝。
他に類のない石室。
文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)。30m前後の古墳(墳形不明)、築造時期は7世紀後半と推定。日本三文殊のひとつ安倍文殊院の境内にある古墳時代終末期を代表する古墳。国の特別史跡に指定されている。被葬者は、大化の改新で左大臣に任じられた阿倍内麻呂とする説が有力。石室、玄室、羨道に見られる石材加工技術は他の古墳では見られない高度なもの。石材と石材の隙間がなく素人目でもその技術の高さが実感できる。
名前 |
文殊院西古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0744-43-0002 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

中に入る事が出来ます。奥に『願掛け不動』と呼ばれる不動明王の石像がお祀りされています。