日本一長い神社名、神域の静寂へ。
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社の特徴
急な189段の階段を登った先に、神社の静寂な佇まいがあります。
日本一長い名前を持つ、飛鳥の水の神を祀る神社です。
本殿がなく、後方の山を御神体として拝む独特の信仰形態です。
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社奈良県高市郡明日香村稲渕698社名の読み方は ”あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ”、日本一長い名前の神社。200段近い階段をのぼった先に、小さな拝殿があります。飛鳥時代、皇極天皇(斉明天皇)による雨乞いが行われたとも伝わる場所。主祭神・宇須多伎比賣命?・神功皇后・応神天皇明治政府によって、ご祭神は社名から宇須多伎比賣命であることが分かります。紀記等その他文献には表されない神。奈良県史によると、宗像三女神の一柱、湍津姫神(たぎつひめ)であるとされています?南淵山を御神体山とした、縄文信仰。正史に表される日本で初めて雨乞いが行われた社。ここからは、小生の個人見解です。では何故、主祭人を湍津姫としなかったのでしょうか?何故、紀記にも登場しない、宇須多伎比賣命としたのでしょうか?また、出雲宗像の姫と物部の2神。何か、隠したい思惑?主祭人は、瀬織津姫です!歴史の表舞台から、抹消したい宗像三女神の末女神。やはり、徐福=ニギハヤヒの血筋を明治政府は嫌がったんだと思う。瀬織津姫は、第二次訪問時の妻。その血筋が今の天皇家。主祭人を変えられた神社は、数多くあります。例えば、東大阪の石切剣神社奈良の登彌神社ナガスネヒコから、ニガハヤヒに。階段は、200段で手すりはありません。神社正面の左手に、緩やかな坂道があるますので、そちらを推奨します。罰当たりますが、登り下りで膝ガクガクとなりました。千木(ちぎ)は、縦削である。一概には言えないが、物部系神社 縦削ぎ出雲系神社 横削ぎ私はパワースポット?呼ばれないと行けない?スピリチュアル?神社は、祈りの場所です。こう言う表現は、不適切。さあ、隠された奥明日香の場所に、訪れましょうよ!Instagram mitianchanggong
ひたすら険しい階段と山道を登った先に神域がありました素晴らしいですその一言しかない。
梅前佐紀子さんの「飛鳥古代史チャンネル」で紹介されてました。階段(188段、自分調べ)がメッチャ怖いと言う話でしたが、66歳の老夫婦でもそんなに恐怖は感じませんでした。それより体力的に辛く、少し登っては休憩してハァハァ言いながら境内までたどり着きました。平日の午後に訪問しましたが、我々以外に二組の参拝者が居ました。かつて此処で皇極天皇が雨乞いをされたと言う伝説があり、それにあやかって愛知県の水瓶である宇連ダムの貯水量が上昇するようお願いしたところ、翌日から雨が降り続き、貯水量が回復しました。天気予報通りでした。
本殿を持たず、拝殿背後の南淵山を御神体とする神社で、社号にある宇須多伎比売命を祀ります。社殿は川沿いの県道から約200段の石段を登った先にあります🚶♀️宇須多伎比売命は大国主命の妻で宗像三女神の一柱である「多岐都比売命(たぎつひめ)」を指し、神名は、宇須=立派な、多伎比売命=多岐都比売を意味するそう✍️また同社は皇極天皇が雨乞いをした場所とも伝わり、642年に大日照りが続いた際、天皇が雨乞いをしたところ、雷鳴の後、大雨が5日間も降り続いたといいます☔️この伝説は奈良県内各地に残る雨乞い踊り「ナモデ踊り」の起源ともいわれ、明日香村では、地元保存会によって同社に伝わる踊りを復元、公演を行っています。境内では、大きな拝殿の両脇に応神天皇と神功皇后が祀られていて「八幡宮」と刻まれた石灯籠も。拝殿の奥には真ん中に鳥居のある結界も設けられていました⛩稲渕・栢森・入谷・畑の4大字の氏神ではあるのですが、石の玉垣は倒壊したまま、一段下にある建物は原形が分からないほど朽ちていました。過疎が原因なんだろうか🧐現在は飛鳥坐神社が兼務されていて、御朱印も同社で受けられます。いつか建物は朽ちても、細々とでも歴史が受け継がれていったらいいなと思った参拝でした😌
ハイキング途中に長い階段が気になって立ち寄りました。なんやらめっちゃ長ったらしい名前やと思ってたら日本一長い名前の神社やったのね。ストレートな長く急な階段を登り切った先に鳥居と拝殿があります。御神体は三輪神社と同じく後ろの山体そのものだとのこと原始神道を今に伝える貴重な場ですね。
通りがかりに存在を知り詣でました。果てしなく続くかののような階段に躊躇しましたが意外と数分で境内へ辿り着けます。到着と同時に檜の香りがしたのが不思議です。檜から漏れる陽光が美しく輝き良い処を観させて頂けました。階段にある蜘蛛の巣さえ美しく感じられ境内から見える朽ちかけた建造物も趣あり。
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社飛鳥川上流、奈良県明日香村稲淵・栢森間の 宮山中腹に鎮座。本殿は中間が遥拝造で、後方 の山を拝する形をとる。祭神は宇須多伎比売・ 神功皇后・応神天皇。旧村社。「延喜式」神名帳 高市郡の「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社」とさ れる。宇須多伎(臼滝)比売命は飛鳥坐神社の裔 神とされる(「延喜交替式」、貞観一〇年六月二八日 「太政官符」類聚三代格)。ちなみに神社東方の大 字畑にウスタケの小字が残る。鎮座地稲淵は皇 極天皇が雨乞をした南淵の河上(「日本書紀」皇極 天皇元年八月条)で、神社北方に南淵山がる。 近世、宇佐宮・宇佐八幡と通称され、天文二二 年(一五五三)銘の御湯釜(現存せず)にも宇佐八幡 宮と刻する(高市郡神社誌)。「高市郡古跡略考」に 「宇佐宮ノ下なる川中ニ少しき淵あり。底ニ駒 の足跡あり。皇極請雨の所にや」とみえ、明治 初年まで雨乞のナモデ踊を「本なもで」と称して 神社で興行したと伝え、その後は内宮(稲淵、南 淵請安墓に残る旧談山神社)において「かりなもで」 が行われた。氏子は大字稲淵・栢森・入谷・畑に 居住。平安時代前期の作と推定される男女各二 体の神像を蔵する。明治四四年(一九一一)入谷 に鎮座の大仁保神社を合祀、合祀後も旧地に社 殿が残されている。同社は仁徳天皇を祭神とし、 元慶二年(八七八)二月二七日に従五位下を授け られた大仁保神(三代実録)にあてる説がある(大 和志)。「日本書紀」皇極天皇三年一一月条に、蘇 我蝦夷が大丹穂山に桙削寺を造立したことがみ える。桙削寺跡については子島寺説、入谷説、 高取町丹生谷説(大和志)などがあり、「大和志料」 は丹生谷の大仁保神社をもって国史見在社と する。『大和・紀伊 寺院神社事典』
まち町、地域ごとに味わい深い表情を魅せてくれる古都奈良。この飛鳥地域にも颯々、淀み、特有の奥深いランドスケープを感じます。あすかかわかみにいますうすたきひめのみこと。寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚と続けたくなるところですが。登り降りするだけでも価値ある200段近い階段。実際に手で触れ、登り始めると、なぜか自分が歴史の一部にでもなったような、勝手な錯覚に。心地良いパラレル。来た甲斐がありました。創建以来、一体どれほどの人々が登り降りしたのかなと思いを馳せます。階段自体、横幅は長いですが奥行きが少々浅いです。踵が浮く感じも。高所恐怖症の方には昇降の最中、そのことを思い出さぬよう祈るばかりです。本殿は高台に。時が止まったよう。ほんのちょっとだけ相対性理論が理解できたような錯覚に。
長い階段を登った後、到着と思いきや坂道が続いていて、それを少し登ると鳥居をくぐって到着します。境内一面に苔が広がっていてとっても素敵な神社でした。名前も日本一長いとはこんな身近に凄い神社があったとは明日香村にかなりの回数訪れているのに今回初めて知りました。
| 名前 |
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ、これでいいんかな?。斉明天皇(皇極天皇)のころ飛鳥最南のこの辺りで雨乞いをしたとの記録もあったように聞く伝承の多い神社です。約200段の石段行きゃ~分かります、凄いですよ。