斉明天皇の饗宴施設探索。
石神遺跡の特徴
須弥山石が存在し、魅力的な歴史が感じられる遺跡です。
斉明天皇時代の饗宴施設とされる貴重な遺構があります。
現地見学会では考古学ファンが集まり、調査成果が共有されます。
須弥山石がある遺跡。NHK知恵泉で紹介。石人像も。古代日本巨石信仰。現代の見応が今一つなのは当たり前です。というか見応なんて今の時代に不可能です。想像力で田んぼや畑を古代の映像に置き換える必要があるとか言ってる人がいますが、それが何が物足りないのでしょうか?想像力で見ることが当たり前です。古代の事ですから。今後のさらなる発見や研究に期待しましょう!
2024/01 訪問。全て埋め戻したそうで、四角い穴の跡があるだけです。ここには、足元にプレートて説明があるのみです。隣の農産物直売所と明日香村の資料館(この2つの施設は同じ敷地にあります)の駐車場にある看板の方が分かりやすいと思います。車や自転車は隣の明日香村の資料館の駐車場に停めて、ここと明日香村資料館、飛鳥水落遺跡を廻るのがお薦めです。同じ敷地みたいなものなので。ここから発掘されたものは、飛鳥資料館にあります。石人像は、本物は館内に展示され、レプリカは庭で実際に噴水として使用されています。ここの隣の明日香村の資料館にもレプリカや説明があります。
正直に言って見応えとしては今一つです。想像力で田んぼや畑を古代の映像に置き換える必要があります。遺跡とは無関係ですが鉄の網を飲み込んだ木々が周辺にありました。
2024年3月3日(日) 奈良・明日香村の石神遺跡で現地見学会 考古学ファンら800人、奈良文化財研究所の担当者がパネルを使って調査成果を説明した。同遺跡は日本書紀に記述がある、蝦夷ら外国使節を迎えて宴会をする迎賓館との事です。
飛鳥時代の迎賓館だったと言われている遺跡です。ここにある説明板の近くに石が敷かれて四方も石で囲まれたものがかすかに見られますが、これは一体何なのでしょうか?ここから出土した遺構を復元したものでしょうか?昔の写真を見るとそれらしくも見えますが、今では半分近くは土に埋まっていて草も茫々に生えているので、とてもそのようには見えません。ちゃんと整備してほしいと思います。ところでこの近くから出土した石造物が飛鳥資料館で須弥山石として展示・復元されています。しかしあれは須弥山ではなく崑崙山ではないかという説もあります。須弥山だと仏教の、崑崙山だと道教の施設ということになります。ちなみに崑崙山とは漢土の西北に位置する天に届くばかりの高山で、その周囲にはすべてのものを溺れさせるという弱水がめぐっているそうです。飛鳥資料館の庭で見たこの石造物の復元品からも水が出ていました。それを見ているとこれは弱水を表しているのかもと思ったりします。はたしてこの石造物は須弥山なのか?崑崙山なのか?真実や如何?
斉明天皇期の外交施設(迎賓館)を中心とした遺跡。一角からは須弥山石・石人像が発掘されている。遺跡自体は埋め戻されて見る影もないが、当時に思いを馳せるにはよいかも。
新しい説明看板の図が変更になっていてわかりにくくなったので、旧図から現在地の表示と水落遺跡の図を移植したものをUPしました。水落遺跡の図の縮尺は適当です。明日香村の管理の方、現在地ぐらいは追加してください。
斉明天皇時代の饗宴施設遺跡と考えられている。ここだけを見ると何だかわかりません。全体像はわかりませんが、至るところに遺跡がねむっているのでしょうね。
この遺跡から山田道(やまだみち)が確認されています。
名前 |
石神遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://asuka-japan-heritage.jp/jitou/spot/%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E9%81%BA%E8%B7%A1/ |
評価 |
3.4 |
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お隣のあすか夢の楽市にお伺いしたときに看板を見つけて行ってみました。正直、説明板がなければ、わかりませんでした。