重祚の天皇陵、静謐な237段。
車木ケンノウ古墳(斉明天皇・間人皇女陵 / 建皇子墓)の特徴
高取町に位置し、静謐な雰囲気を醸し出す陵です。
第35代・第37代皇極天皇が眠る重要な史跡です。
237段の階段をゆっくりと登る体験ができます。
斉明天皇の墳墓と宮内庁は治定しているけど、絶対に!100%違う!!なぜなら、この当時の天皇陵は全て八角墳であって、ここのような小山ではない良くて円墳、恐らくは単なる小山でしょうなぜそうなったか・・・江戸時代から明治にかけての尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる中、当時の宮内省(官僚)が明治政府から指示されて「即刻天皇の皇統を確立するために墳墓も治定せよ!」てな具合で調べもせず指定したのでしょう本当の斉明天皇の御陵はここから飛鳥に向けて行ったところにある「けんごしづか古墳」です。
あまり高くは無いが、山を登る必要があるので星を一つ減らした。だがひっそりとお鎮まりになった貴人の墓には想うものがある。夏場は虫除けスプレーがあった方が良いかもしれない。
かなり階段を登った先にある陵墓です。めっちゃ疲れました。2025年6月現在、制札の板が掃除のために取り外されています。木製の鳥居の奥に斉明天皇と建皇子の御陵が広がっている、、、はずですが、現在、牽牛子塚古墳が真の斉明天皇陵と見られています。ですが奈良県遺跡地図には車木ケンノウ古墳とあるので、多分古墳ではあると思います。そしてここは陵墓を1周できます。結構周回する道はあっても塞がれているケースが多いので、珍しいです。道中に謎のブルーシートがありました。ここからは建皇子について。父は天智天皇で、母は遠智娘(おちのいらつめ・蘇我倉山田石川麻呂の娘)。同母妹の大田皇女、鸕野讚良皇女(後の持統天皇)がいます。651年(白雉2)誕生話すことが不自由でしたが、父方の祖母の斉明天皇の寵愛を受けていました。658年(斉明4)夭折。享年8。斉明天皇は深く悲しみ、殯後に将来築造される自身の陵に合葬することを命じたそうです。更に建皇子を偲ぶ歌を6首詠んだとされています。
35代皇極天皇(こうぎょくてんのう)、重祚して37代斉明天皇(さいめいてんのう、旧字体:齊明天皇2回も天皇職になった女帝。594年〈推古天皇2年〉- 661年8月24日〈斉明天皇7年7月24日〉)は、日本の第35代天皇(在位:642年2月19日〈皇極天皇元年1月15日〉-645年7月12日〈皇極天皇4年6月14日〉)および第37代天皇(在位:655年2月14日〈斉明天皇元年1月3日〉- 661年8月24日〈斉明天皇7年7月24日〉)。日本書紀にも書かれた日本人の礎的場所。大和のこころの故郷、一度はおいでください。手前に駐車場🅿️12台ほどあり。
目立たない場所にありますが、かなり大きな古墳で、登りの道も雰囲気があります。
対外戦争初の天皇なのに何故こんなに整備されてないのでしょう?京都山科の天智天皇の御陵はまだ参道は綺麗にされてますそのお母様の墓はもっと整備されてしかるべき宮内庁は奈良にも平等に力入れて欲しい御陵自体はほぼ野山!ですが、とても静かな佇まいでお眠りされています。
陵に至る階段の段数は237段を数えた。奥まった木に囲まれた場所にあり、ひっそりと静まりかえっていた。天皇である斉明と娘、孫の4柱が仲良くここに眠る(あるいは眠っていた?)。
場所がわからず近くにあった簡易郵便局で行き方を聞いてやっとたどり着きました。230段くらいある石段、とてもきつかった!途中で太田皇女の御陵を見つけたのは大収穫でした。
長い階段の続く静謐な雰囲気の場所です。
| 名前 |
車木ケンノウ古墳(斉明天皇・間人皇女陵 / 建皇子墓) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0744-22-3338 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
JR和歌山線の掖上(わきがみ)駅から徒歩12〜3分。わりと最近、綺麗に整備されたであろう階段を登ります。最初に大田皇女の陵墓が左手に現れ、そののち、少し上がると斉明天皇陵が現れます。綺麗に整えられています。奈良県には沢山の天皇陵がありますが、こんなに山の上にあるものは珍しいのでは。おすすめです。世界平和と日本の平和をお祈りしました。