国生み神話の伊射奈岐神社。
伊射奈岐神社の特徴
伊射奈岐神社は歴史的な大和天神山古墳の隣に位置しています。
主祭神には国生み神話の伊邪那岐命と菅原道真が祀られています。
鳥居は神社西側にあり、近くに神武天皇の遥拝所も存在しています。
(いざなぎじんじゃ)鳥居は、神社西側にあり、駐車場(ほぼ路駐、駐車場との案内あり純粋な駐車場てはなく、路駐やん…(笑))R169沿いの大和天神山古墳の西側というか古墳の隣にあります。古墳が先か、神社が先か?なのですが、歴史ある神社で、間違いようですが、資料が少なく、創建年代は不明のようです。古墳は4世紀代なので…。古墳の神社側は、かなり土取されている感じですので、神社の創建と関わりがあるのかな?と感じました。ダラダラいってますけど、古墳が先っすね(笑)。てか、すみません、卵が先がニワトリが先か論より、どっちがどっちでも、現在に素晴らしい神社を拝見できますし古墳も残ってくれてますし、感謝しないと。 追記 こちらの神社の手水舎、江戸時代の物だと思いますが、♡に見える文様と書体が私的には癒されました。
とても立派な神社です。なんと古墳に鎮座しているそうで、大和天神山古墳からはたくさんの鏡が発掘されたそうです。とても静かで美しい場所でした。
立派な神社でした。
日本武尊ゆかり『伊射奈岐神社』・・伊射奈岐神社は第10代崇神天皇の陵から道路を挟んだ天神山古墳西側に鎮座し、祭神は国生み神話の伊邪那岐命を祀ります。この神社の由緒として、社記が天文年間(1532~1555)に焼失したため創建年代や規模等は詳しく分らないとされますが、崇神天皇の御代に創建されたとされます。その事から伊勢神宮と同時期に創建された最も古い神社です。日本武尊(ヤマトタケル)が東国征伐の出陣の折り、伊射奈岐神社に戦勝祈願をして伊勢へ出立したと伝わります。この伝承から大和朝廷の崇敬が厚かったということが証明されます。またヤマトタケルの名前は古事記では倭建命であり、日本書紀では日本武尊です。また東国征伐の折り伊勢神宮の日本武尊の叔母である斎王、倭姫命に会いに行ったそうです。また伊射奈岐神社は大和天神山古墳を境内にもつ珍しい神社です。この古墳は全長約103mの前方後円墳ですが、道路建設(169号線)より中心から墳丘は二つに切り離され、東側が消失しました。道を走ると古墳が二つに分けられ削られてることが、コンクリート壁の姿でよく分ります。
国道169号をはさみ、東に「崇神天皇陵(行燈山古墳)」があり、西に当「伊射奈岐神社(大和天神山古墳・残存部分は西側半分)」がある。あまり大きいとは言えないが、清々しい雰囲気を漂わせて、古代を感じさせてくれる神社です。社伝によると「日本武尊が東征の出陣に際し、戦勝祈願した」と云う・・創建の古さを物語っている。参詣するには国道169号から脇道を西へ回り込み、西向きに建つ正面の「鳥居」からどうぞ。・・国道169号から直接はいる=「裏側から」になります。
歴史を感じさせられる所です。詳しくは解らないそうで残念です。
大和天神山古墳が本殿裏手に鎮座しています。
伊射奈岐神社いざなぎじんじゃt 奈良県天理市柳本町1898祭神t伊邪那岐神菅原道真式内社(小)大和天神山古墳に鎮座明治維新までは天満宮と呼ばれていました一般的な傾向として江戸時代まではその社独自の祭神を祀っていましたた江戸時代には参詣者が多くなる天満宮、春日社、天神社とかになり明治維新の復古の風潮に乗りまた本来の祭神に戻ったところが多い当社のその意味で菅原道真が祭神となっているものと思います。
2017.08.13. (日) 14:00 初来訪 (奈良斑鳩人)古墳巡りの最中に 休憩を兼ね御参りをさせて頂きました伊邪那岐(イザナギ)神社の 御祭神は 二人おられ 一人は 伊邪那岐命(イザナギノミコト)で 彼の嫁サンが 有名な伊邪那美(イザナミ)で二人して 天の橋に立ち 矛で海を掻き混ぜ日本を造った と言うアノ話のぉー!また もう一人は 菅原道真で 官職に有りながら 誤解から大宰府に左遷させられた 学問の神様です神社拝殿に控えし本殿は 春日造の銅板葺でデンと佇む 美しい社殿内には 前記した二神様が 鎮座されて 居られ各社殿が緑に覆われ トテモ雰囲気の有る神社でした!
名前 |
伊射奈岐神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

神武天皇の遥拝所の石柱があります。駒牛があります。趣のある社で、感激しました。