230メートルの圧巻!
西殿塚古墳の特徴
墳丘の長さは約230メートル、古墳時代の大型前方後円墳です。
手白香皇女の陵として知られ、立ち入り禁止の貴重な史跡です。
大和古墳群の一部として、興味深い隠された歴史を持っています。
こんもりと木々の茂った里山のように見えるところですが古墳(継体天皇の皇后の墓所)です。付近には景行天皇陵、崇神天皇陵などもあり、かつての王権の権勢が偲ばれます。そしてそれらは今も宮内庁によって守られています。
異様な存在感を放つ古墳です。何故か分かりませんがこの古墳に生える木はなんか色が濃く思えます。古墳が小高いところにあるので、大和平野を見渡すことができます。この古墳に唯一文句を言うとしたら宮内庁の治定についてでしょうか。
圧倒的な存在感を放つ古墳です。私の推し古墳でもあります!(どうでもいいですね)全長230m、3世紀後半の築造とされる前方後円墳で、緑の濃い木々に覆われています。他の森林とは緑の濃度が違うので、遠くからでも分かります。また割と高所にあるので景色も綺麗です。オオヤマト古墳群や大和平野を見下ろせる上、二上山も見えます。更に私が訪れた際は時間帯が良く、空も綺麗でした。東側に道があり墳丘を見ることができます。写真では全然分からないですが前方部・後方部共に段築と思しき段が確認できました。宮内庁により手白香皇女の陵と治定されていますが時代にかなり乖離があるので、西殿塚古墳には手白香皇女ではない、初期ヤマト王権の権力者が眠っていることでしょう。ちなみにオオヤマト古墳群内にはある程度大規模かつ6世紀代の古墳 西山塚古墳があり、そちらが衾田陵ではないかとする説があります。手白香皇女:父は仁賢天皇、母は皇后の春日大娘皇女生年不詳(仁賢2年以前)武烈天皇崩御後、天皇が子を残さなかったことや、雄略天皇の男子皇族粛清が影響して皇位につける皇族がいなくなってしまった。そのため、越前国にいた応神天皇の5世孫(継体天皇)を大和に招聘し、即位してもらった。それに際し、継体元年(507)、大伴金村の勧めにより手白香皇女が皇后に冊立。これにより継体朝は皇室に婿入りするような形で一定の正統性を得たと考えられる。私としてはこれを男系と捉えていいのか少し疑問なんですけどね。継体3年(509) 欽明天皇を生む没年不詳。
陵の北から西にかけて見学させていただきました。墳丘部に接近する道はありませんが、一部工事をしていました。少し寄ってみましたが宮内庁の立ち入り禁止の立て札がありました。北側を狭い道が東の山の上の方へ伸びていますが、道は狭く農家の方が軽四輪で通るだけです。
手白香皇女の陵墓とされてますが、建造時期から考えると違うみたいです。崇神天皇陵という説もあるようです。手白香皇女の陵墓は近くの西山塚古墳のようです。
3世紀後半に築造されたと見られる全長230メートルの大型前方後円墳。宮内庁により、第26代継体天皇皇后 手白香皇女の御陵に治定されていますが、年代が合わなく、被葬者はよくわからないようです。宮内庁管理で、二度の調査が入ったとの事。これは宮内庁としても、年代が合わないので治定陵墓としてどうかなぁ?という感じなんじゃないでしょうか?。どちらにしろ、墳丘は立派で、大王級の陵墓で間違いないでしょうけれど。案内板は前方部の拝礼所東側にあります。拝礼所までの通路が整備されていなく、畑の畦道を通る感じで悪路です。
こんな巨大な古墳が高地にあるとは驚いた。作る時大変だったのでは?
◽大和古墳群を構成する「西山塚古墳」から「山の辺の道」コースに合流するかたちで西殿塚古墳へと向かいました。◽その道程で歴史好きの中年男性や謹厳を実写化したかのような初老の紳士と行き交い、会話もしました。元来、陵墓スルー派なので、古墳散策で様々な思いを抱いた人たちと出会うことなど、皆無に等く、新鮮な「山の辺の道ウォーク」となりました。◽なだらかな稜線を描く山並みに抱かれるように、山裾に西殿塚古墳がひっそりと佇んでいます。◽散策ルートJRまほろば線/長柄駅下車馬口山古墳⏩フサギ塚古墳⏩栗塚古墳⏩下池山古墳⏩西山塚古墳⏩西殿塚古墳⏩中山大塚古墳。
山辺の道から入りましたGoogleマップでは案内出来ません道しるべがあります梅の木畑の中です。
| 名前 |
西殿塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0743-65-5720 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.tenri.nara.jp/miryoku/tenrinomiryoku1/kofun/1445323092951.html |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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2025年8月9日に訪れました。3世紀に築造された前方後円墳です。全長約230m、後円部径約145m、前方部幅約130m、東側3段築、西側4段築、堀割も発見されています。特殊器台形土器、特殊器台形埴輪、特殊壺形埴輪、特殊円筒埴輪等が出土しました。継体天皇の皇后である手白香皇女(てしらかのひめみこ)の陵墓とされる衾田陵(ふすまだのみささぎ)ですが、古墳の築造年代と生存年代が明らかに食い違います。近くの西山塚古墳が、手白香皇女の真陵ではないかとする学説があります。さて、こちらに埋葬されている御方は、どなたなのか興味が尽きません。柿畑の小路をたどりながら、気持ちよく散策できました。