愛に満ちた和爾坐赤坂比古神社。
和爾坐赤阪比古神社の特徴
和爾坐赤阪比古神社は、古代に権威を有した由緒ある神社です。
JRまほろば線櫟本駅から徒歩20分、静かな立地が心地よいです。
上つ道/万葉の道の一部として、歴史を感じる素敵な空間です。
村中のとてもきれいな神社です。昔からの建物で公民館も併設されています。
延喜式式内大社です。近辺は、細い道ばかりなので、地元の人以外は、車で近く迄行くと大変なことになりそうです。御祭神 阿田賀彦命・市杵島比賣命阿田賀彦命は、和邇氏の祖先神。この境内の下は古墳らしいです。
氏子さんたちの愛に溢れた素敵な空間。
古代に権威を有した和爾氏の神社で、現在の見かけ以上に由緒ある。神社の奥は古墳となっている。
「上つ道/万葉の道」巻二十四の二の二 天理市和爾町和爾坐赤坂比古神社(わににます あかさかひこじんじゃ)JRまほろば線「櫟本」駅より徒歩20分それとは解らない、なだらかな(平らな?)古墳上に鎮座おはします。少し複雑な町並みですが櫟本高塚公園の南方面からも訪れることは可能です。周辺の建物にも特にインパクトの強いものはなく、和爾町天奈会館やとみの森広場、赤い「火の見櫓」のある天理市消防団くらいです。ところが周りは存在感が薄いゆえに、余計に「西向きの神域」が際立って画になるのです。秋の午後は日差したっぷりで、社殿も明るく感じました。隣の善福寺とその前にある「和爾坂下伝承地道」の道標も景色を際立たせるのに一役買っているような気がします。ここから南に分け入って、鬼子母神の社から柿本神社へ向かいます。
小さな村の小さなお宮さんです。
和邇坐赤阪比古神社わににますあかさかひこじんじゃt奈良県天理市和爾町1194祭神t阿田賀田須命市杵嶋比賣命阿田賀田須命は阿多隼人の祖神?そうすれば南方系の海神族わにに通ずるか?和珥氏は5世紀から6世紀にかけて奈良盆地北部に勢力を持った古代日本の中央豪族一般的には百済からの渡来人とされている奈良時代の大衆運動家「行基」も和邇氏系諸情報駐車場なしトイレなし(もしくは気付かず)道中特に困難な所なし。
和邇下神社の元宮にあたるそうです。
| 名前 |
和爾坐赤阪比古神社 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://kanko-tenri.jp/tourist-spots/nouth/waniimasuakasakahikojinja/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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和爾坐赤阪比古神社(わににますあかさかひこじんじゃ)。奈良県天理市和爾町。式内社(大)、旧村社。主祭神:阿田賀田須命 市杵嶋比賣命【関係氏族】和爾族資料によると、櫟本(いのもと)町を西南に望む標高約90mの台地に鎮座する。集落の中心にあり、小さな神社である。口碑に依れば、横穴式古墳の上に鎭座し数十年以前までは、石郭をみることが出來たが、入口を閉さぎ今日に至つたと云う。旧地は、現在地よりさらに北東に登った和爾池の南、天神山にあったという。和爾氏は古代の有力な豪族で、孝昭紀には和珥臣の始祖として皇子天足彦国押人の名が見え、孝昭記は天皇の兄・天押帯日子命を春日臣・大宅臣・栗田臣・小野臣・柿本臣・壱比韋臣などワニ系十六氏の始祖としている。赤坂比古はおそらく和珥氏の祖神であろう。赤坂の地名は残らないが、和爾の集落の東には赤い土が露出していて、いかにも赤坂という感があるとのこと。康保4年(967)7月似前に東大寺尊勝院根本所領の一庄として和爾庄が成立し、東大寺守護神として和爾庄の鎭守的性格を帯びるに至つた。その後和爾庄は東大寺より離れ、興福寺の雑役免田の一庄となった。境内に常楽寺(神宮寺)があった。当社の東約300mにある丘陵部にやや大きめの池があり、これが旧和爾池で、その西側の小高い山が天神山かと思われる。当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、当地は古代氏族の和珥氏が拠点を置いた地であり、近隣に鎮座する二社の和爾下神社(天理市櫟本町・大和郡山市横田町)と共に和珥氏が祖神を祀ったものだったことが考えられます。主祭神の阿太賀田須命(アタカタスノミコト)は、和爾坐赤坂比古神社(奈良県天理市)の主神で、アカサカヒコ、和爾(わに)神とも呼ばれる別名を持つ、製塩集団「和邇部(わにべ)」の祖神とされています。和邇氏は大和の豪族であり、阿田賀田須命は墳墓の土固めに必要な版築工法を発明し、和邇部への土地供給に貢献したことが由来で、赤土産地の赤坂に祀られたと解釈されています。とあります。