豊饒の海と紅葉の円照寺散策。
圓照寺の特徴
圓照寺は豊饒の海のラストシーンの舞台であります。
一般参拝はできませんが、秋の紅葉が楽しめる特別な場所です。
参道には桜や楓、竹林が美しく調和して道を飾っています。
圓照寺は別名を山村御所と呼ばれている。奈良市街の丘陵地にある静寂なる場所にあり、部外者入館不可となっている。門跡寺院(皇室の方が住職)となるといわれています。大正天皇の四男、三笠宮崇仁(タカヒト)親王との二卵性双生児である山本静山尼(山本絲子)は、京都華族の山本實庸子爵の末子として育てられている。実は三笠宮の双子の妹といわれている。そのためか「山村御所」なる名がついている。山本静山尼は91年間、表に出ずにこの場所で過ごされている。皇室では双生児は上位なる者を神格化してゆくのに不都合で忌み嫌われており、隠棲されていたのである。時に訪問された三男の高松宮宣仁(ノブヒト)親王からは「やすこ」と呼んでいたといわれる.·········。三島由紀夫がここに着想を得て?豊饒の海(名とは裏腹に月にある暗黒で虚無の世界!?)の第一巻「春の雪」で松枝清顕(まつがえきよあき)が出家した二つ年上の綾倉聡子(あやくらさとこ)に会いたい思いで雪の中、尼門跡「月修寺」に何度も行くが、会えず閉じられた山門の前で倒れ亡くなる。「月修寺」はここ圓照寺がモデルとなっている。書の中では、松枝家は貴族らしい優雅を与えようと清顕を幼い頃から綾倉家ヘ預けたのである。そこで清顕は家風に染まり、聡子に可愛がられたのである。聡子も二十歳になり、清顕と聡子の子供の頃の仲良く頬を寄せ合った姿から、彼女が五月末の「お宮様」のお祭りに参列した姿まで、清顕の写真帳にその成長の後を潰さにたどることができた。20歳という娘盛りを過ぎた年頃であるのに聡子はまだ結婚していなかった·······。
気軽に口コミできるお寺ではありません。はき清められた参道を歩いて門前までは行けます。大きな門は開いていて入れそうですが入れません。門前から中を覗くだけです。以前立ち寄った時はお茶会が開かれていました。山村流の家元だそうで、幹部クラスの方々が着物姿でそろりそろりと出入りされていました。何も知らないハイカーの私と妻もどさくさに紛れ門を潜ろうとしましたが、ガードマンに見つかり退場させられました。それ以来敷居が高く門の中を想像するのみです。お寺の南の森の中に門跡の代々のお墓があります。そちらは御参り出来るので行ってみたりします。三島由紀夫の小説は知りません。
円照寺の境内片隅家で生まれ育った故郷ですので、ても懐かしく想います。
一般の方の参拝はできませんが、秋は紅葉を楽しむことができます。
参拝不可ですが境内、参道ともにとても綺麗に整備なされています。
三島由紀夫の『豊饒の海』第一巻、「春の海」で主人公松枝清顕が出家した聡子に会いたい一心で2月の雪のなか、尼門跡月修寺に何度も行くけれど、会えず閉じられた山門の前で倒れ亡くなる。 園照寺がこの尼寺のモデルである。 昭和40年代、三島由紀夫が大正時代の日本の貴族世界を背景にして輪廻転生、ニルヴァーナ観を著した壮大な海の序章部である。また、観念のなかで生きる若きロマンチシズム。 3日間大阪・京都・奈良自由周遊の「奈良満喫フリーきっぷ」で近鉄奈良駅から奈良交通バスで県道188号を約20分、「円照寺」バス停で降りるとちょっと静かな田園風景が広がる。反対側は、もう円照寺入り口。 参道は、自然とは思えないような曲線を描きながら緩やかに上がる。従って、歩くごとに眼前の風景が変わる。ちょうど紅葉が空を隠す。ぶらぶら15分、間には万葉集の碑「あしひきの山に行きけむ山人の~」舎人親王などあり、まさに尼寺のみちであった。 瀟洒な山門は左にくぐり戸を構え、結界をつくる。見える向こうには、低く構えた入母屋造りのお堂が見える。あいだは、手入れされた白い砂利と一条の踏み石。すべてが女性の感性が行き届いた雰囲気を醸し出しているように感じる。 ここから先は、立ち入り禁止の竹の柵。入れませんでした。ただ、門を入って左側にある便所は使えますとのこと。気持ちいい心遣いありがたい。 参観中、平日だったせいか、お会いしたのは、一組だけでした。 豊饒の海を読んでから、一度は来てみたかったお寺。とても静かな良い、尼寺でした。
「山の辺の道(北)/万葉の道」巻十二の二の一 奈良市山町円照寺(えんしょうじ)円照寺バス停より参道を進み、ゆっくりと散策後10分もあれば到着します。山門に到着するまでに二つの万葉歌碑と出会えます。山村に行幸(いでま)す時の歌二首①【万葉歌碑】参道半ば右手の「ヨシ池」を過ぎればすぐです。あしひきの 山行きしかば 山人(やまびと)のわれに得しめし 山つとぞ此れ万葉集 巻二十-4293 元正太上天皇(44代元正天皇)人里離れた山を歩いているとその山の仙人が私に手渡してくれた山のお土産なのです、これは。②【万葉歌碑】参道終盤、左に北からの薮の山の辺の道が見えます、その合流点あしひきの 山に行きけむ 山人の心も知らず 山人や誰 (たれ)万葉集 巻二十-4294 舎人親王わざわざ人里離れた山まで出て行かれたという仙人のお気持ちもはかりかねます。おっしゃる仙人とはどなたのことなのでしょうか。時代背景が見えてくる一つの文献としての歌で、そこになぜ万葉歌が詠まれたのか興味を持っていただけると幸いです。また山門には、『不許酒肉五辛入門内』の石柱碑が建っております。こちらはいわゆる結界石で、多くの寺の門前にあります。例えば「酒や臭の強い物を持ち込んだり、事前に摂ると修行になりません、 心構えを持ってお寺にお入りください」の意。五辛(ゴジン)とは、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)です。拝観の受付は行ってなくても、この山門をくぐるときは前日・当日、酒等とも摂取は控えましょう。
「山の辺の道(北)/万葉の道」巻十二の二の一 奈良市山町円照寺(えんしょうじ)円照寺バス停より参道を進み、ゆっくりと散策後10分もあれば到着します。山門に到着するまでに二つの万葉歌碑と出会えます。山村に行幸(いでま)す時の歌二首①【万葉歌碑】参道半ば右手の「ヨシ池」を過ぎればすぐです。あしひきの 山行きしかば 山人(やまびと)の われに得しめし 山つとぞ此れ 万葉集 巻二十-4293 元正太上天皇(44代元正天皇)人里離れた山を歩いているとその山の仙人が私に手渡してくれた山のお土産なのです、これは。②【万葉歌碑】参道終盤、左に北からの薮の山の辺の道が見えます、その合流点あしひきの 山に行きけむ 山人の心も知らず 山人や誰 (たれ) 万葉集 巻二十-4294 舎人親王わざわざ人里離れた山まで出て行かれたという仙人のお気持ちもはかりかねます。おっしゃる仙人とはどなたのことなのでしょうか。時代背景が見えてくる一つの文献としての歌で、そこになぜ万葉歌が詠まれたのか興味を持っていただけると幸いです。また山門には、『不許酒肉五辛入門内』の石柱碑が建っております。 こちらはいわゆる結界石で、多くの寺の門前にあります。例えば「酒や臭の強い物を持ち込んだり、事前に摂ると修行になりません、 心構えを持ってお寺にお入りください」の意。五辛(ゴジン)とは、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)です。拝観の受付は行ってなくても、この山門をくぐるときは前日・当日、酒等とも摂取は控えましょう。
三島由紀夫「豊饒の海」ラストシーンの舞台。中には入れませんが、読み終えたなら、老いた本多になったつもりで山門までの道のりをゆっくりと歩きながら、あの日本近代文学史上屈指の名シーンを振り返ってみましょう。
名前 |
圓照寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0742-61-7600 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.2 |
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一般拝観不可の門跡寺院。華道「山村御流」の家元の寺院。