古代の謎と美が息づく蓬莱山古墳。
宝来山古墳(垂仁天皇陵)の特徴
垂仁天皇が葬られていると伝えられる古墳で、古墳の規模は国内トップクラスです。
四世紀後半に築造された前方後円墳で、景観や形の美しさが際立っています。
尼辻駅から徒歩5分でアクセスでき、静謐な環境の中で歴史を楽しむことができます。
垂仁天皇が実在したのかは分かりませんが、立派な古墳なので相当な実力者が葬られているのは間違いないでしょう。
蓬莱山古墳は古墳時代前期、4世紀後半に築造されたと推定される大型の前方後円墳。この古墳は周濠に落とす緑の影が特に美しい。被葬者は分かっていないが、大和王権の大王(おおきみ)クラスの人物であることは間違いない。濠の中に浮かぶ小島は記紀にも出てくる田道間守(たじまもり)の墓という伝承を持つ。かつては大型古墳に付随する陪塚(ばいちょう)と考えられていたが、今日では否定されている。したがって、間守の墓であるわけもないが、こういう伝承は民間の信仰や習俗に根差していることは確かだ。
空気がいいし景色が綺麗。古墳に茂っている高い木々が見えます。散歩に最適。
遙拝の折には、快晴で、とても気持ちの良い日でした。国家安泰の一助になればと手を合わせました。また、この日は日曜日で、田植えをしているところも少なくなく、のどかで、豊かな景色が拡がっていました。御陵の堀の水は、適宜に配水(貯水)にも使えるようになっているらしく、樋門があり、感動しました。下流に田があり、そこでも使っているのでしょう。流れは最終的に、秋篠川へ接続しているようです。
近鉄電車に乗っていると見える古墳です。全長200メートル以上ある大きな古墳、古墳を囲む掘りには田道間守の倍塚が。ちょこんとあって、いい感じです~🍀田道間守は橘を中国から持ち帰って、古代のお菓子にしたことから、お菓子の祖として祀られたそうです🍀
4世紀後半の築造とされてます。垂仁天皇の陵墓とされてますが、実際の被葬者は不明です。垂仁天皇と言えば、サホ姫の物語や殉死による生贄を止めさせた事で有名な天皇ですが、現代では非実在の人物とする見方が強いようです。神話と歴史の狭間にいる天皇と言えるかもしれないです。
実際の被葬者は明らかではないらしく、「菅原伏見東陵(すがはらのふしみのひがしのみささぎ)」として宮内庁により第11代垂仁天皇の陵として定められている。規模として全国第20位で、4世紀後半頃の築造とされている。墳形は先方後円墳で、前方部が南に向いており、墳丘は3段構造になっている。この宝来山古墳の場合、ヤマト王権の大王墓と目される他、それまでの古墳と異なり、周濠が同一水面で墳丘を一周する古墳としては初期事例になる点が注目されている。
「垂仁天皇陵」(すいにんてんのうりょう)は奈良市郊外にあります 正式には「菅原伏見東陵」(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)と称し 長径230m近くもある秀麗な前方後円墳です 140歳で崩御したとされる第11代垂仁天皇は 実在したかも定かではなく この古墳の真の埋葬者もわかっていません 宮内庁が天皇陵に治定しているので 発掘調査が一切できないからです 私はこの古墳に特別な思い出があります 私は中学生の時 熱烈な「古墳少年」でした ちょうど修学旅行で唐招提寺に立ち寄りました 唐招提寺から徒歩で行けるところに垂仁天皇陵があることを知っていた私は 引率の先生に頼んで 団体行動から離脱 一人でこの古墳を訪ねたのです 大古墳を見るのはこの時が初めてでした 私はその感動を文章にし 学校の広報誌に掲載されたのを覚えています。
宮内庁が管理する古墳が、シラサギの寝床になっています。魚鳥を採ってはいけないことになっているから仕方がないのかなあ?
名前 |
宝来山古墳(垂仁天皇陵) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-22-3338 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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垂仁天皇は日本の第11代天皇です。不老不死の薬と言われた橘の実だったかを中国へ取りに行った田道間守のお墓も浮かんでいます。幼少の頃から、近鉄橿原線尼ヶ辻駅手前南西のロケーションが大好きで時々写活しております。