行基の足跡、蓮の美。
喜光寺の特徴
菅原天満宮から近く、歴史的な雰囲気が漂うお寺です。
行基菩薩ゆかりの寺、ミニ大仏殿が特徴的で試作としても知られています。
多種多様な蓮が美しく、見頃の季節には特に訪れる価値があります。
喜光寺(きこうじ)は、奈良県奈良市菅原町にある法相宗別格本山の寺院で、かつてこの地を治めていた菅原氏にちなみ古くは「菅原寺(すがわらでら)」と呼ばれていました。
蓮の花を見に行きました。今から咲き始める感じで、見頃は7月中頃のようです。でも咲いている蓮の花はとても美しかったです。蓮花は午前中に咲いて午後は閉じるようなので、蓮花を見るのが目的なら午前中に行かないといけません。お寺は大きすぎず、全体的に綺麗に整備されていて素敵な雰囲気でした。
奈良県奈良市。721年創建と伝えられるお寺。本尊は阿弥陀如来。菅原寺とも呼ばれます。私が奈良で暮らしていた頃から何度も前を通っており、「行基さんのお寺」と呼んでいました。行基とは大仏建立に貢献した僧ですが、このお寺は諸説あるものの彼が建てたと伝えられています。寺名は参詣した聖武天皇が本尊から不思議な光が放たれたのを喜んで「歓喜の光」に因んで名付けられたと言われています。またこの地で暮らしていた土師氏が桓武天皇より菅原姓を与えられ、その後、菅原道真を輩出しました。以前行ったのはいつか思い出せないぐらい久しぶりの訪問でした。毎日前を通っていたものの、参拝したのは初めてかもしれません。訪問時は開眼法要が行われていて、多くの人で賑わっていました。本当は人の少ない写真にしたかったのですが、今回は仕方がないかな。懐かしい気分になれただけで十分です。
3/05/2026西大寺の駐車場係のジイさんに、「喜光寺までどのくらいかかりますかネ」と聞くと、「この道をまぁっすぐ。10分くらいかナ」と宣(のたま)った。冗談ではない。もう、30分近く歩いた。とそこは、高速道路のすぐそば。明らかにこれは、行基菩薩や聖武天皇への不敬行為だ。現代文明への怒りにもえて、ともかくも新たに整えられた南大門をくぐり、まず行基堂に参ってから、本堂の阿弥陀如来坐像を参拝した。本堂は16世紀の再建というが、そもそもは東大寺大仏殿の雛形として建てられたという。観光の中心から離れ、1時間ほどの滞在で参拝者は小生だけだった。行基は大仏の完成を待たず81歳で入滅したが、聖武天皇が大仏建立の詔で「一枝の草、一摑みの土を持ちて像を助け造らむ」で語ったように、行基がいなければ大仏はできなかったのでは、と思う。そうでなければ、今なおあれだけの圧倒的な感動を与える、人類の宝はできなかったと思う。
☆東大寺「四聖」の一人、高僧「行基」が入滅したのがこの地、東大寺建立の実質上の責任者=行基、有り難い神域。養老5年(721年)高僧「行基」創建、行基の奈良での活動の拠点となった寺院、土地の名前から初め「菅原寺」、天正20年(748年)聖武天皇が行幸で当寺参拝、その際に御本尊から不思議な光が放たれ聖武天皇が喜び「歓喜の光の寺である」として『喜光寺』の名前を賜ったそうです、何かホント有り難い素敵なお話しです。凄いのは本堂が東大寺建立の際の大仏殿の雛形で建造されたとの伝承=「試みの大仏殿」との呼称、これを知って本殿を拝むと気持ちも変わりました、何かホントこれも凄く有り難い巡り合い、ここに来れて凄く良かったと、観光客も居ない静かな境内で奥の深い「喜光寺」合掌一礼、当寺に来れたことに感謝🙏
広くは無いですが、立派な仏様がおられます。お寺の方がとても親切でした。蓮の季節にまた来たいです。
歴史のある本堂に、文化財の仏様が撮影自由とのことで、お参りできて良かったと思った。
行基菩薩入滅のお寺です。かつては平城京の一角でした。今は幹線道路が目の前を走る住宅地にあり古都の面影はありませんが、インフラ整備に尽力した行基への供養としては、これも相応しい姿なのかもしれません。
いいお寺です。スタッフの皆さんも感じのいい方ばかり。蓮がきれいな時期です。宇賀神特別公開中です。
| 名前 |
喜光寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0742-45-4630 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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蓮を見に行きました。鉢植えですが、きれいに整頓されていました。咲き誇っていると言うより、ポツポツと花が開いていました。