歴史重みる西大寺、静寂の中で見つける仏像の魅力。
西大寺の特徴
大和西大寺駅から徒歩5分でアクセス抜群の寺院です。
昔の栄華を感じる重みある建物が魅力の西大寺です。
孝謙天皇の発願で創建された歴史深いお寺です。
奈良近鉄西大寺駅西側にある歴史があるお寺、敷地も広く周りには、関連神社も多数あります。
愛犬を世界遺産「平城京跡」を散歩させようと思い立ち、その前に西大寺さんにご挨拶(お参り)しようと計画を立てました。犬連れで参拝できるものかSNSで検索しましたが岡山の西大寺か、もしくは町の飲食店の情報しか見つからず、はっきりしないまま現地を訪れました。駅側の東門から入山し右手の「四王堂」で拝観料を納め「犬連れ」について尋ねてました。お寺としてそもそも「犬連れ」の参拝者が滅多に無いので決めていないとのこと。仕方なく愛犬をキャリーバッグに入れ家内と代わる代わる「四王堂」と「本堂」と「愛染堂」を拝観させて頂きました。創建された奈良時代には文字通り東の東大寺に対する西の大寺にふさわしい大伽藍も平安時代の再三の災害に遭い衰退した時期も有りましたが、鎌倉時代に真言律宗の根本道場として伽藍が再整備されたとのこと。本堂の獅子に乗った文殊菩薩様や、松脂でワックスをかけた様に照かる床等などぶったまげた発見が続々。来て良かった☺️。なのにともかく参拝者が少ない😅。静か。予定していた時間も等に過ぎ愛犬はキャリーバッグの中でひたすら辛抱。愛犬にはm(_ _)m。ことろでこの西大寺を創建した称徳天皇は女帝だったとのこと、そういえば推古天皇も女帝でした。奈良時代は現代よりも男女平等な社会だったのかと想像してしまいます🤔。
大和西大寺駅から徒歩5分。元旦に参拝。比較的早い時間のため、ほぼ参拝客はいなかった。それが逆に良かった😄住宅地の中にひっそりと佇む西大寺😀静かな時間が流れる空間を提供していただけた。参拝料800円で3堂参拝できます。特に本堂の参拝が面白かった🛕開放感が最高でした☺また機会があれば訪れたい😋
院内は撮影禁止です。特別拝観と重なりましたがそちらは今回見ずに3堂を回りました。それぞれに見所があります。
称徳天皇縁の真言律宗のお寺…十一面観世音菩薩・文殊菩薩と善財童子(安倍文殊院のものとは少し趣きが異なる)愛染明王像は確かに必見の要あり写真撮影はできませんが…拝観料は八百円、駐車場は三百円…
大好きなお寺です。奈良に来ると必ず寄らせていただいています。東大寺のように人が多くなくて静かにお寺を参観できます。それでも境内には歴史を感じるスポットがたくさんあります。伺ったときは一人だったので、お寺の中にいらしたスタッフさんがお寺の歴史や奈良のことなどをとても詳しくお話してくれました。素晴らしいお寺です。蓮の時期にはお寺の横にあるお庭が鑑賞できます。
近鉄の駅名にもなっている西大寺。東大寺などと並ぶ南都七大寺の一つで、創建時は壮大な伽藍を有していたようです。しかし平安時代以降は衰退著しく、復興が成ったのは鎌倉時代以降とのこと。拝観は本堂・愛染堂・四王堂の三堂共通で800円。それぞれのお堂には異なった趣がありますが、見た中では四王堂の十一面観音立像の慈愛に満ちた表情が一番印象に残りました。規模を縮小したとはいえ、境内にはかつての東塔・西塔趾なども残されていて、昔の栄華がしのばれます。奈良市街に立地する寺院ですが、観光客であふれかえる奈良公園あたりの喧騒とは無縁で、心静かに参拝ができます。
大好きなお寺です。奈良に来ると必ず寄らせていただいています。東大寺のように人が多くなくて静かにお寺を参観できます。それでも境内には歴史を感じるスポットがたくさんあります。伺ったときは一人だったので、お寺の中にいらしたスタッフさんがお寺の歴史や奈良のことなどをとても詳しくお話してくれました。素晴らしいお寺です。蓮の時期にはお寺の横にあるお庭が鑑賞できます。
自分が来訪した時は平日でしたが、自分以外誰もいませんでした😅3つの建物を回って拝観料は800円です。御朱印は、1つ500円、それぞれのお堂ごとに2種類とかあるので全部もらったら中々の寄付になってしまいます。十一面観世立像は立派です。
| 名前 |
西大寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0742-45-4700 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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現存建築はいずれも江戸以降のもので、見どころは少ないが、本堂から飛地境内にある奥の院へは奈良らしい静かな街路地が続き割といい。また建物よりも寺宝は見るべきものが多いが、多くは諸博物館に寄託してるのが難点。「西大寺は天平神護元年、稱徳天皇の勅願により常騰の開基にかゝり高野寺と稱した。東大寺と相對し、七大寺の一として多数の堂塔を有し盛大を極めて居た。然るに承和十三年以來數度の火災に遭ひて、堂塔佛像等多く滅燼した。鎌倉時代に至り叡尊(興正菩薩)當寺に住して戒律を護持し、寺門の興隆に勉め朝廷の歸依を得て諸堂再建せられたが、文亀二年の火災にまた多くこれを焼失してより再び衰へ、以て今日に至って居る」(『日本案内記 近畿篇 下』鉄道省、博文館、1933)。