1300年の歴史、由義寺の遺跡。
由義寺跡の特徴
由義寺跡は、昔の7重塔の遺構がある場所です。
奈良時代の歴史を感じられる貴重な史跡です。
発掘調査の説明会に参加できる貴重な機会があります。
由義寺のあった場所です。かつての大伽藍は今はなく、石碑のみが建っています。七重の塔の後は秋桜畑にになっています。
続日本紀に記されている由義(ゆげ)寺の塔の遺構が発見されたとのこと。ここに、平安時代の幻の都「西京」があったらしい。以下、毎日新聞Webページより。(2017年2月9日)由義寺の説明です。「奈良時代の僧・道鏡出自の弓削氏一族の氏寺「弓削寺」として、742年以前に建立されたとされる。称徳天皇の信頼を得た道鏡は法王となり、弓削氏一族がいた周辺には西京(にしのきょう)と位置づけられた「由義宮(ゆげのみや)」が置かれ、弓削寺も由義寺として整備された。」
ただの空地です。
一度は是非行って見てください。
去年、新聞記事で見て関心のある奈良時代の出来事なので、発掘調査の説明会に参加しました。続日本紀の記事は、やはり当たっていたかも!称徳女帝は平城京の役所機能も由義宮に移転したと言われています。副首都として造営されたが、本心は、色々あった平城京には未練もなくなってきて、河内国で道鏡とともに国を治めることを夢見ていたが、女帝は崩御され、未完成に終わり、道鏡は関東地方に左遷されました。それにしても、今の八尾市が道鏡の出身地と知って、親近感があります。正倉院展で、道鏡の自筆文書を拝見しましたが、力強い大きな文字でした。
1300年以上前に7重の塔が東弓削にあった。
長年文化財の仕事してましたが異論埋蔵文化財保護と言いながら実際には破壊でしかありません発掘するともとに戻りますか?決してない。
長年文化財の仕事してましたが異論埋蔵文化財保護と言いながら実際には破壊でしかありません発掘するともとに戻りますか?決してない。
この遺跡から由義寺の七重塔の基壇が発見された。称徳と道鏡が鋭意建設を続けた由義宮。弓削寺(由義寺)はその一部に過ぎない。国道170号(外環)を東弓削に向かって南下すれば左右に田畑などが広がってくるのが見える。これらが由義宮跡ではないのだろうか?痕跡はまだまだあるはずだ。痕跡は必ず見つかるだろう。遺跡発掘者の苦労と喜び、感動は始まったばかりだ。
名前 |
由義寺跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

東弓削遺跡には、由義寺(弓削寺)跡があり、西京の遺跡とも言われています。中に立ち入ることは通常はできません(し、埋め戻したので特に何もありません。)