源氏三代の墓、静寂の山へ。
源義家墓の特徴
落ち葉に覆われた静かな雰囲気の中での訪問が印象的です。
源頼義が建立した通法寺跡に位置し、歴史を感じることができます。
源氏三代の墓所であり、武家の始祖をしのぶ場所として大切にされています。
いや、でんせつ級の武将の墓は感無量。三代近くに有るので回ると良いですよ。
源氏館跡の石碑側(北側)からの階段は、現在土砂崩れのため工事中で利用できなかったので、西側の墓地の中の小道を進んで辿り着きました。
11月に行きましたが一面落ち葉に覆われていて、歩きづらいほどでした。墳墓は立派で小高い丘の上にあります。人っ子一人いない中で眺めてると、心がザワザワしました。
やや山を登った果樹園だった?林の中を通り過ぎ少し拓けた所の小山に廟所が有ります。扉の先に石碑はない模様ちょっと手前は入組んでいるので壺井八幡宮か通法寺跡辺に駐車して歩いた方が確実それ程険しくはないですが虫や蛇に注意源義家、wikiでは武勇に優れ奥州の反乱を関東武士を率いて平定し後の鎌倉幕府武士政権の基礎を築き源頼朝はその子孫ですが、民間伝承では罪深い人物伝も残っています。京都からは大分遠く寧ろ楠木正成の活躍した根拠地から近く。
源頼義が建立した通法寺跡には、頼信、頼義、義家の河内源氏三代の墓が存在する。平安時代や鎌倉時代の武将の墓はあくまで伝承に過ぎなかったり、後世の供養塔の類が多いが、この墓所は本物のようだ。こういうものが現存するのは、奇跡に近い確率と言っていいかもしれない。もちろん、墓碑や石垣は後世に整備されたものである。
源氏館跡の石碑から東に少し歩くと右手にこんもりとした小山があり階段を上がります。左手には平らな土地に一列に並ぶ墓石の様なものが見えます。これは通法寺歴代住職などの墓石です。右手の墳丘が源義家(長暦3年(1039年)~嘉承元年(1106年))の墓所でした。⬜源義家は頼義の長男で河内源氏の3代目棟梁。7歳の春、石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称されました。前九年の役で活躍して出羽守となり、ついで陸奥守兼鎮守府将軍となりました。その後、後三年の役を鎮定して東国武士の信望を集め、東国における源氏の勢力の基礎を築きました。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる人物です。ぐるりと一周出来ますが夏場は虫が多くて逃げて帰る状態です。南側150mに1台目の源頼信の墓が在ります。
女性1人で行くのは昼でもお勧めしません。とにかく蚊が多いので長袖長ズボンで行くことをお勧めします。私は半袖半ズボンで行ったので1分もいれなかったです。菩提寺で近くにある通法寺の住職の墓が並んでました。頼信と隆光の墓行き方が分からなくてとても暑かったのでリベンジで3ヶ月後の今日再度訪問しました。行き方下に書いてます。
京都で亡くなり、ここで埋葬されたそうです。たどり着くまで少し登ります。
通法寺跡から、東に向かうと案内板があり、斜面の階段を登るとあります。階段付近にスズメバチがいるかもしれないので、要注意です。通法寺跡から、150メートルぐらい。徒歩でどうぞ。
| 名前 |
源義家墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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通法寺の前の道を奥に100mぐらいかな山手に碑があり そこから少し山を登った所に 八幡太郎義家公の墓所があります。墓所といっても小高いボテ山 古墳?状になっており グルっと歩いてすぐに一周できるような山です。回りには通法寺の歴代住職の墓かな?がありました。義家公が実際 埋葬されてるのか?何れにしても義家公の血筋が幕府を開く事になりロマンを感じます。