源義家の墓から進むマニアック散策。
源頼信墓の特徴
源義家の墓から奥に進むとあり、木製橋を渡る経路が特徴的です。
マニアックな古墳の散策経路が組み込まれた特別な場所です。
ブドウ畑の先にある源頼信の墓所が最近整備されております。
源義家墓から、木製橋を奥に進むとあります。厳かです。
▪️マニアック古墳の散策経路上にあり河内源氏三代の郷散策を組み入れた次第です。上面にも達しない、ほんの表面を撫でた程度の訪問で。▪️河内源氏の祖との認識のみにて。「前九年」 「後三年」 「八幡太郎義家」に代表される東北の侵略/制圧/支配という負のイメージが強く、あまり好きにはなれなかった一族でした。(スズメバチ集団にしか思えず~!)ほぼ同時代の将門的スタンスにて。▪️アクセス近鉄南大阪線/準急/上ノ太子駅下車徒歩20分。
ブドウ畑の先にあります最近整備され、橋(?)が付け替えられたようです。
義家の墓から奥に進むと源頼信のお墓があります。こちらも墓石はなく木のようです。
義家の墓から道が続いてます。史跡好き、源氏好きならおすすめ。ちなみにすぐ隣に将軍綱吉の学僧で、生類憐みの令を公布した大僧正隆光の墓もあります。
源氏三代の墓所。道があるようでないところを進んだ先にあります。
河内源氏は、第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする。頼信-頼義-義家(八幡太郎)と続く。源頼朝、足利尊氏は河内源氏の流れをくむ。源 頼信は河内源氏の祖。河内に土着して館を建てたとされている。以下、羽曳野市観光協会Webページより。「11世紀前半、河内国司に任ぜられた源頼信は、壺井に邸宅を構えた。その子の頼義と孫の義家(八幡太郎義家)は前九年の役や後三年の役で活躍し、武将としての地位を確立した。鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖にあたるため、壺井は「(河内)源氏発祥の地」といわれている。頼義の墓は通法寺跡に、頼信と義家の墓は、南の丘の上にある。」
本当にこんな所にあるのかと半信半疑になりながら進むとありました。円墳みたいな感じですね。足場が悪い所を通るので車椅子の方はお気をつけください。
頼信の墓から少し離れたところに、大僧正隆光の墓がある。 薄暗さの故か、不思議な思いがする。
名前 |
源頼信墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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源義家の墓所から更に奥へ、険しくはないですが途中橋というか板を渡ります。河内源氏の祖、平忠常の乱を鎮圧し河内源氏東国進出の礎を築きます、今昔物語集等に説話があるとか。