いにしえの学び舎、含翠堂の碑。
含翠堂跡の特徴
享保2年に創設された民間学問所の跡地です。
平野七名家の土橋友直に因んだ歴史的な場所です。
いにしえの学び舎として貴重な碑が残っています。
碑があるだけです。
平野郷、そして大阪随一の優れた教育機関であった含翠堂であるが、現在は石碑が残るのみである。しかし閉鎖時に教員・生徒が住吉郡第一小学校(現在の平野小学校)に移動したとされるため、含翠堂は平野小学校として現在も活躍していると言えるだろう。
いにしえのこの場所に塾がありました。
元禄から享保、そして明治5年まであった私塾。伊藤東涯も講義したという「がんすいどう」。その頃が塾のハイライトだったろう。いまは歩道上にひっそりと本の形をした石碑があるだけ。
平野七名家の1人土橋友直らによって享保2年 (1717年)に創設された大阪初の民間学問所である。経営は、すべて同志の寄附金とその運用で維持され、飢饉の際に備えて積み立てを行い、たびたび窮民を救済したことは、他の学塾に見られない特色である。明治5年(1872年)新学制公布により閉鎖されるまでの155年間、郷民の教育や窮民救済にあたった業績は大きい。
| 名前 |
含翠堂跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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