畠山政長の墓、歴史の風を感じる。
畠山政長墓所の特徴
応仁の乱の中心人物、畠山政長のお墓です。
整備がされておらず、静かな雰囲気が漂います。
住宅地の隙間に位置する歴史的な墓所です。
畠山 政長(はたけやま まさなが)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将・守護大名。室町幕府管領、河内・紀伊・越中・山城守護。足利氏の一門畠山氏の人物。畠山持富の次男で政久(弥三郎)の弟。妻は京極持清の娘。子に尚順(尚慶)。お家騒動で従兄の畠山義就と争い、応仁の乱を引き起こした。
写真でみられる通りの有様。花が手向けられているだけましか?
応仁の乱で有名、畠山政長の墓所。
畠山政長は、室町幕府管領(将軍を補佐し政務を統括する職名)で河内・紀伊・越中の守護をも兼ねていた。管領畠山持国のとき、その家督相続をめぐり持国実子義就と甥・政長との間に争いが起った(応仁の乱の一因)。政長は将軍足利義材(義稙)と共に正覚寺に本陣をおき、義就と対陣し、義就の死後河内の平定にのり出した。しかし、明応2年(1493年)義就の子義豊の逆襲にあい、あえなく敗北した。この兵火のため、壮大を誇った正覚寺の伽藍も焼失した。世にいう「正覚寺合戦」であります。
応仁の乱を引き起こした張本人の畠山尾張守政長のお墓です。現在、旭神社境内となっている場所に、畠山政長は城を持っており、そこに正覚寺城跡があります。
| 名前 |
畠山政長墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
2.4 |
| 住所 |
〒547-0006 大阪府大阪市平野区加美正覚寺2丁目6−37 |
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応仁の乱の中心人物の一人の墓所にしては住宅地の隙間にあり整備もされておらず寂しい限りの状態でした。