中臣須牟地神社で神酒を味わおう。
中臣須牟地神社の特徴
鳥居をくぐり参道を進むと広く抜けた空間が現れる神社です。
神社の隣には池があり、オニヤンマ取りが楽しめる場所があります。
中臣須牟地神社は由緒ある霊験あらたかな神社です。
72歳。地元に住み私の氏神様で毎年初詣させてもらってます。今はひっそりとしてますが子供の頃は正月や夏祭りには境内に露店が賑やかでブリキのおもちゃを買ってもらったけどそれで指を切った思い出があります。道を挟んで南側には土俵があってお相撲さんが来ていたこともあったらしいです。
道路沿いに神社があります。禁足地みたいに一部は塀や囲いがされていて入れない場所が、ありました。正面から撮影しましたが後ろの雲が龍みたいに見えました。
中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)。大阪府大阪市東住吉区住道矢田。式内社(大)、旧村社。主祭神:中臣須牟地神 (配祀)神須牟地神 須牟地曽祢 住吉大神住道首に代表される在地氏族が奉斎していた祖神に、中臣氏の祖神を祀ったのが当社祭神であろう。【関係氏族】中臣氏資料によると、矢田住道(すんじ)の地域にあるひっそりとした神社ですが、延喜式の格式ある神社です。祭神は中臣須牟地神とともに住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長帯比売命)を祀り、中臣氏と住吉大社とのゆかりを感じさせます。「須牟地(すむち)」の名がつく神社は他に「神須牟地」、「須牟地曽祢」があり、今は遷座していますが元はそれぞれ磯歯津路(しはつみち)沿いにあったといわれています。磯歯津路というのは倭の五王の時代(古墳時代)にあった住吉津(すみのえのつ)から喜連に通じる道で新羅など外国からの使節が飛鳥に向かう道でした。「須牟地」には 磯歯津路の路の神であり使節の休息所といった意味があったようです。中臣須牟地神社も当時は現在地より北方の磯歯津路沿いに天神山という小高い丘の麓(現在の矢田北小学校あたり)にあり、外国の使節が来ると摂津、河内、大和から集めた稲で御神酒を醸し使節を歓待しました。その接待役が中臣氏でした。中臣氏はこの地域とつながりが深く、子孫の藤原不比等が、現在「住道(須牟地)廃寺跡」となっている寺を建立したといわれています。古代から鎌倉時代まで天皇即位後の大嘗祭 (だいじょうさい) の翌年、難波津で八十島祭(やそしままつり)という儀式が行われており、中臣須牟地神社はそれにも関わった由緒ある神社と伝わります。のちに天神山麓にあった中臣須牟地神社の地域が河内国丹比郡(たじひぐん)に編入されたため、摂津の地域に中臣須牟地神社の祭神の一座、中筒男命(なかつつのおのみこと)を勧請して出来たのが湯里住吉神社といわれています。とあります。
毎月1日と15日の早い時間には宮司さんがいらっしゃいます難波宮のあった時代以前から中臣氏(藤原氏)もこの地に多く移り住み、藤原不比等は勅命を受けその氏神社として併せ祀った由緒正しいお社です日本書紀には632年唐にからの使者に中臣須牟地神社で作ったお酒を振る舞ったとの伝承もあります境内には猿田彦を祀った御社、お百度石、なども有ります。
仕事で近く迄来たのでお参りさせていただきました。御名前からして興味津々です。中臣氏の中臣かなぁと思ったけど違う感じです。豊臣秀吉とかの朝廷からいただいたんでしょうか?お社のつくりも違うしいろいろ宮司さんにおはなしを聞きたいけど普段はいてはれへんみたいですね。
追記あり松原六社参り(毎年 元旦〜15日)で屯倉神社の境内社に「酒屋神社」が あったのを思い出しました 中臣須牟地神社は須牟地四社(港と都を結ぶ古道への道標・神事・祭祀・休憩所のようなもの)の中心的存在 その朝廷の神事・祭祀に欠かせない「神酒」を松原の地で造っていたのですね依網吾彦男垂見(よさみあびこのおたるみ)を祖とする依羅(よさみ)氏族の在地に依羅屯倉(みやけ:大和朝廷直轄地)が 置かれていた頃(「日本書紀」仁徳天皇記:初見)各神社から集めた稲の保存をしていたとなれば 打って付けの場所大伴・物部の豪族が台頭していた時代両氏族の衰退と共に中臣氏族が頭角を現し 後に藤原姓を賜った藤原鎌足の子 藤原不比等が祖神を合わせ祀ったとされる中臣須牟地神社 不比等建立の須牟地寺が近隣に ありましたが 源平合戦で焼失 廃寺跡として残っております九州から堺 大浜に上陸し各地に分かれたとされる物部氏族の地の並びに長曽根神社(ナガスネヒコ)須牟地曽根神社(ニギハヤヒノミコト)阿麻美許曽神社(ヒコソネノミコト)の(元の祭神?)と思われるのが 全て物部系の祖である事 阿麻美許曽神社に至っては 阿摩比古命(アマノヒコノミコト:中臣の祖)への入替え説もある 中臣氏族の勢いが感じられます35年程 昔 人づてに聞いた当時の宮司さんの言葉に「ここは(現代の)氏神様ではありません 由緒正しき お宮です」の意味が判ったような気がします極力 人の手を加えず 往時の佇まいを残そうと しておられ 壊れた灯篭・御神木・ 道祖神・おキツネ様?も大事にされて 街中様々ある神社の境内とは格段の差 神秘的な雰囲気が感じ取れます 身が引き締まります 古代の人に後ろから肩をポンポンと叩かれそうな…😯😳😱朝早くに 行かせてもらったので尚更かもしれません由緒に弥生時代 伝々…と謂れているのも それなのかも?目と鼻の先に瓜破(うりわり)遺跡の出土もある事だし……追:藤原不比等邸跡(法華寺:平城宮跡歴史公園近く)に行って来ました 隣の海龍王寺を含めても ほんの一部だそうで8丁はあったと謂れていますどれだけ大きいんでしょうか🤔法華寺は不比等亡き後 娘の光明皇后宮とし のちに宮寺となったのが始まりとされます早朝出張ウォーキングだったので中には入れませんでしたが堪能 出来ました。
近くにお仕事で行きました。大変由緒が有る神社の様です。歴史に疎くて知りませんでした。
夜に行ったので写真がちゃんと取れていません。境内の中は緑が生い茂っていまして、その周りを巡回するように神社が出来上がっています。神社の周りは大阪の下町住宅街です。
西の端に鳥居があります、参道を東へ進むと広く抜けた空間の出て来ます。左手に小さな社があり、その横から拝殿の裏をぐるっと回って散策する事が出来ます。
| 名前 |
中臣須牟地神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
06-6702-6835 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~17:00 |
| HP |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai9shibu/higashisumiyoshi-ku/09020nakatomisumuchijinja.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
〒546-0022 大阪府大阪市東住吉区住道矢田2丁目9−20 |
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創建不明の古社。難波津から飛鳥宮に向かう外国使節を接待する場であり、その接待役が中臣氏であった。創建の地は「天神山と言う小高い丘の傍」であり、現在の矢田北小学校の付近だったと考えられています。