楠木正成の歴史を感じる墓地。
河内城跡の特徴
楠木正成に縁のある、歴史的な場所です。
室町時代の河内城があった跡地ですが、現在は墓地です。
期待して訪れた石垣の存在は残念ながら見られませんでした。
楠木正成、所縁の史跡。楠公さんを偲ぶ。千早赤阪城跡。
墓地になってます。
現在は墓地となっているが、室町時代には河内城があった。河内城は内城とも言われ、上河内城・千早赤阪村川野邊の神宮寺城とともに畠山慶宗(尾州家)が明応五年(1496)に築き、合わせて水越三城と称された。水越三城は総州家(義就系)と尾州家(政長系)の争いで重要な城であったようで、幾度か争奪戦が繰り広げられた。総州家側が明応九年(1500)に奪い、翌文亀元年(1501)には尾州家側が奪還を試みたが果たせず、同文亀三年(1503)、奪還した。
名前 |
河内城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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跡地が墓になっているのですね 石垣跡でもあるのかと期待していたのですが 最近の墓が乱立しているだけで とても城跡には見えませんでした(笑)