源頼朝と藤原氏の攻防跡。
阿津賀志山防塁案内板の特徴
源頼朝と藤原泰衡の壮大な戦いの歴史を体感できる場所です。
奥州藤原氏による防御陣地の跡が残っており、見応えがあります。
ここでの激しい攻防の歴史を感じながら、貴重な時間を過ごせます。
ここで源氏と奥州藤原氏との攻防があったとか。福島盆地の入り口で戦い、そして国見のこの阿津賀志山で攻防の死闘があった。千年昔のお話ですが、その千年の風雪に耐えてまだ防塁、御土居が残っているとは!昔の武者の気持ちを感じられる場所です。ここを弓で射られることを覚悟して登るのはそうとうな勇気がいったことでしょう。Jin
歴史的な史跡です。
源頼朝と藤原泰衡の兵が戦った防塁が残っていることに感動しました。また、看板には下記のことが書かれていました。国指定史跡 阿津賀志山防塁指定 昭和56年3月14日文治5年(1189)奥州平泉の藤原泰衡は、源頼朝の率いる鎌倉軍を迎え撃つべく、防御陣地阿津賀志山防塁をこの地に築いた。この地点の阿津賀志山防塁は、厚樫(国見)山中腹の始点部より東北自動車道、JR東北本線を挟んで350メートルに位置している。昭和10年ころ堀江繁太郎が描いた『二重堀図』の断面図(県立図書館所蔵)によれば、この付近における防塁は、三重の土塁と二条の空堀からなり、堀幅は約24メートルほどあって、形状は箱薬研堀状をなしていた。中央土塁の頂上が、旧石母田村と旧大木戸村との境界であり、南側の土塁と空堀遺構は失われている。この地点には、旧石母田村の、大清水、蛭澤廃寺跡、駒場、牛石、弁天澤下紐関跡などを経て、国見山の南麓を斜めに上り、防塁にいたる坂道が遺されており、旧東山道跡との伝えがある。この道は防塁の直前で枡形に折れ、切り通し状に防塁を横断して、国見峠の方向に向かっていた。この旧道については確証はないが、大化の改新後の地方行政組織である国郡制度の施行に伴い、都と多賀国府を結ぶ東山道が整備され、国見峠に遺る幅の広い長坂路はこの道であろう。前記の旧東山道の名称を遺す道筋は、これ以前の信夫国、名取国など「国造制」下の通路とも考えられる。平成18年3月 国見町教育委員会。
| 名前 |
阿津賀志山防塁案内板 |
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| ジャンル |
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| 電話番号 |
024-585-2927 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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源頼朝軍を防ぐため奥州藤原氏が作った防御陣地の跡です。800年以上前の土塁や堀がはっきり分かる素晴らしい史跡です。